この歌は、信濃の国のさらしなの里を「更級日記」作者をはじめ全国の人に知らせることになった大きなきっかけなのですが、だれが詠んだ歌なのかわかりません。さらしなの里の美しい月を見てわたしの心は「慰められた」というのではなく、美しいさらしなの月を見てもわたしの心は「どうにも慰められない」とうたっているのがこの歌の力です。現代人も悲しいときにうたう歌や聞く曲があると思います。うたっているときや聞いているときは悲しみは慰められても、終われば再び悲しくてということはないでしょうか。
根源的な悲しみは簡単に癒されるものではありません。そういう心の真実を1100年前の日本人が歌にしました。作者に大きなたくらみがあったわけではないと思いますが、歴史に名を遺す世阿弥や松尾芭蕉をしてぞれぞれ謡曲「姨捨」、俳句「俤や姨ひとりなく月の友」を作らせました。世阿弥も芭蕉も作品に仕上げる表現をしたときは、血の流れが良くなって若返ったでしょう。
やむにやまれぬ思いの表現であるかどうか。独りよがりは避けなければなりませんが、書き始めれば心とからだの若返りチャンスが到来します。