心がけ51 読み手の気持ち

 伝えたいことを伝えるためには、読み手の気持ち、立場になることが必要です。聞き手の気持ちや立場になることと同じですが、書いているときは、読み手は自分の前にいないので、聞き手より読み手の気持ちになる方が難しいと思います。
読んでもらいたい人が不特定多数の場合は、特に読み手のことを意識した方がいいです。新聞記事は不特定多数を読者対象にしていますが、高校生が読んでわかるものという基準があります。伝えたいことを伝えるためには、これを基準にするといいと思います。年齢を重ねた人には当たり前のことも、若年層は知らないのではと考えながら書くほうがいいです。
上から目線にも注意が必要です。ものごとを教えてやろう、解説してやろうという意識が出ている文章は、読み進めたくなくなるものです。自分だけが知っていると思っていることや、自分がなした事、こういうものは偉ぶって書きがちです。発見だと思っていることは実は違い、知っている人がたくさんいるかもしれません。解釈は独りよがりかもしれません。根拠は示されていますか。表現を工夫したり、客観的にすることで読み手が受ける印象はずいぶん変わります。
読み手の気持ちや立場になることは、なかなか難しいものです。書き上げた高揚感でそのまま発表してしまうと、結果的に評価を下げてしまうかもしれません。言ってくれることは信頼できるという人が身近にいれば、最初の読者になってもらうといいと思います。

★文章を作るときに普段心がけておくといいことを「心がけてきたこと」のコーナーで連載しています。

心がけ50 早起き早寝

最近、次の短歌を単語帳に書き写しました。

おぼろげに思へることを確かめしたのしさもちて夜床に就かん

長野県松本市生まれの歌人窪田空穂さん(1967年、89歳で逝去)の晩年の歌です。書きたいことはあるんだけど、まだ言葉にならない、表現できない、それでも思いの種があることは、はっきりしている、今日は深追いせず、眠ってしまおう、翌朝になれば書けるだろう―というような体験を歌にしたものだと思います。この感じ、分かるようになりました。
健康生活を送るための標語に「早寝早起きあさごはん」がありますが、記者時代に取材した睡眠の専門家は、早寝と早起きの順番を逆にし、「早起き早寝あさごはん」がいいと言いました。「早起き」が何より重要だというのです。なるほどと思いました。自分でやってみたので、よく分かるのですが、早起きすると、早い時間に眠くならざるを得ません。ふだん宵っ張りだと早く寝るのは困難です。歳を取ると早起きになる理由は、早く寝るからです。
早起きするようになって、頭の中がすっきりしていることが多いのに気づきました。コンピューターによる記事の編集配信システムも夜中に稼働をいったん休止してメンテナンスを行い、朝方ふたたび稼働させています。前日に駆使した人間の頭脳も、コンピューターと同じように眠りのメンテナンスが必要で、眠っている間にいろいろなことが整理されて、考え事が関連づけられたり流れができる、そんな感じがします。

心がけ49 行きづまったら歩く、走る

 文章を作っていて、どうにも書き進めない、どうにも言葉が出てこない、表現が決まらない、ということがあります。そんなとき、歩いたり、走ったりします。
作文を忘れることが大事で、歩き始めや走り始めは行きづまりの解決をたくらむこともありますが、いつのまにか忘れて、なにも考えていない状態になっています。
ランニングは、からだの節ぶしの痛みがとれないので始めました。医師に相談したら、水泳やランニングの全身運動がいいとすすめられました。走り始めてしばらくすると気持ち良くなって、からだは乗り物だと感じます。重たいこと、とりあえずどうでもいいことが沈んでいって、軽い状態になります。さらしな堂の裏には広大な田畑が広がり、その先の千曲川の堤防は歩行者と自転車の専用道です。
そのあとにすぐ行きづまりが開かれるとは限りませんが、なにかリセットされた感じがして、書き進めることができたり、ふさわしい言葉、表現が見つかることがあります。行きづまったら、とにかくいったん筆を置いて、別のことをするのがいいと思います。

伐られた果樹園を見て思うこと 新聞の投稿欄に

 創作童話「たぬ平とハクビシン」をお書きになった元保育士の女性の投稿が、信濃毎日新聞の建設標のコーナに掲載されました(2022年5月7日付)。十数年前、果樹園を営む中で感じた思いを、現在のご自身に引き寄せて執筆なさったものです。

 プルーンの実には白く薄い粉のようなものがついていますが、雨をはじき病気を防いだり、新鮮さを保つ働きがあるそうです。それがつるつるになってしまっていたことに目をとめたのは、果樹農家ならではだと思います。

心がけ48 映画評論家の佐藤忠男さんから学んだこと

 文化部の記者時代、映画を3年担当したことがあります。有名な監督や俳優が亡くなったときは大きな事件や事故と同じように、翌日の紙面を埋めるたくさんの記事を作るのですが、その一つに、亡くなった人の実績を振り返る「追悼」記事があり、多くは映画評論家に執筆を依頼しました。
ことし(2022年)3月、91歳で亡くなった佐藤忠男さん(元日本映画大学学長)にも、いくども書いてもらいました。佐藤さんはいつも、こちらが求める締め切り時間に応じてくださり、亡くなった映画人の仕事を見事に書き切る原稿を送ってくれました。佐藤さんの原稿は手書きで、それをパソコンに打ちこむのですが、打ち込みながら「なるほど、そういうことだったのか」とよくうなっていました。
新作の試写会が終わって喫茶店でご一緒したとき、佐藤さんに「どうしていつも短い時間で完全原稿が書けるのですか」と質問したことがあります。佐藤さんは「書きつくして来たからね」とおっしゃいました。「日本映画史」という大著をはじめ、佐藤さんは映画草創期以来の作品はもちろん、名を残す映画監督や俳優、カメラマンといった映画人に言及する膨大な文章をお書きになり、本になさっていました。「どんな映画人のことでも、求められれば大抵のことはすぐ書ける」。にやっとした佐藤さんの若々しく誇らしげな笑顔がいまも浮かびます。
佐藤さんの頭の中では、世界の映画と映画人の相関図が出来上がっており、執筆依頼があった人物や作品はその相関図の中のここにあるとピンポイントで見つけ、ひろい上げることができる。そんなふうにイメージしました。佐藤さんの追悼記事は、映画の歴史だけでなく社会情勢も視野に入れた縦軸と横軸の中で、亡くなった人やその人の作品を評価する感じがしました。たくさん、いろいろな角度から、かつ掘り下げて書いてきたからこそなせる技だったと思います。

さらしな短歌のコーナーを設けました

 さらしなの里で生まれ育ち、定年退職を機に住みなおしを始めました。その中で作っている短歌を「さらしな短歌」のコーナーに掲載しています。これまでは「さらしな堂アネックス」に掲載していましたが、短歌は思いの形の一つなので、こちらに移しました。

 定年前に作った短歌は「さらしなのうた」という本にまとめています。自主制作、自費出版です。

心がけ47 串を通す

 取材結果を記事にするとき、「串を通す」という言い方をよくしました。いろいろな質問をし、いろいろな資料を集めているので、たくさんの情報が集まっています。転がっている情報を選んで、それに串を通せるな―というイメージができれば、記事の8割は完成でした。
自分の来し方をまとめたいとき、いちばん問題になるのは何を書くかということです。過去に書いた文章があれば、それは団子です。来し方の大きな要素と思える内容のものがあれば、その団子たちを通す「串」を探します。過去に書いたものがない場合は、短い文章を書き溜めることをおすすめします。自分の心に残っているエピソードを一つずつ作文します。串は見つかっても、棒にはまださす部分が残っていることもあるでしょう。新たに書きおこします。串はテーマともいえるもので、一見関係のないようなエピソードを関連づけることができます。
2006年に自費出版した「姨捨の男」は、田中康夫知事が誕生した長野県政の取材のため約20年ぶりに信州で暮らした自分の物語を中心に、本格突入した高齢社会に関連して書いたエッセイや短歌などを集めた本です。「姨捨の男」というタイトルが、本を貫く「串」となりました。串となるタイトルが決まったことで、本に載せる過去の文章の取捨選択ができました。一方で、足りないと感じるところもあったので、新たに作文し、加えた文章もあります。
伝えたい思いのことを、引き出したりひっこめたりしていると、ふと浮かんだり、思いつく言葉があるものです。その言葉が串になる場合があります。更級郡の消滅をきっかけに発行を始めたかわら版のタイトル「更級への旅」もその一つです。この言葉が浮かび、発行が続けられると思いました。

心がけ46 眼にやさしい文章

 肉眼を通して文章は読まれるものなので、作文は眼にやさしいほうがいいと思います。漢字が多い文章は疲れます。原稿を読んでもらったデスクから「真っ黒だな」といわれたことがあります。特に取材テーマが硬いものだと、漢字の組み合わせの熟語を使うことが多くなり、また記事は短さを要求されるので、熟語を使いがちです。「しあわせ」を「幸福」とすれば2字減らせます。一方で一字増えますが、「やさしい」は「優しい」より、やさしい感じがします。
思いを伝えるには、内容によっては漢字や熟語を多くすることが有効なこともあるでしょうが、基本は熟語ではないことばを使うとか、ひらなが書きすることを検討してみるといいと思います。ビジュアルセンテンスです。
新聞の子どもニュースの記事を作ったり、絵本を制作したりしてきて、文章の中で漢字をどうするか、いろいろトライしてきました。それで思うのは、何を漢字として残し、何をひらがなにするのかは最終的には全体の中で判断するということです。
短歌を作るときは、なるたけ漢字を減らすことにしています。31音におさめるために熟語を使いがちです。必要な場合は、動詞をひらがな書きにし、漢字を減らすといった工夫をします。熟語と名詞が漢字でならぶと、そこだけ黒くなるので、あえて一つの漢字をひらながにすることもあります。作りはじめたころの歌をみると、思いを伝えたいことが優先したのでしょう。新聞記事のように漢字を使う部分はそのまま漢字を使っているものが多いです。短歌は韻律、口の端にのせて唱えたときの調べが重要、なるたけ意味を押しつけるような漢字を使わないほうがいいという助言を受けました。
短歌と同じように作文は届けたい思いの結晶です。届けたい相手が、手にとって身近に置いておきたくなる工夫があったほうがいいと思います。

心がけ45 過去は新しくなる

 古来都人のあこがれだった更級郡の消滅が残念で、「更級への旅」というかわら版を発行して約20年になります。当初はさらしな堂の前身である大谷商店に来てくれたお客さんに自由に持って帰ってもらい、閉店後はインターネットのサイト(さらしな堂アネックス)で読んでもらっています。「さらしな」という地名にまつわる歴史や文化を、いろいろな角度から紹介してきて思うのは、過去は意味づけと解釈で新しいものとして立ち現れるということです。
 これまでの「更級への旅」では、まだ知られていない事実や文化を発掘することもありましたが、多くはすでに過去に発表された調査研究や昔は多くの人が知っていた事実に、わたし流の意味づけや解釈をして紹介したものです。光りの当て方次第で、こんなふうにさらしなは今でも魅力的なんだという感じです。
 だれもが過去を持っています。そのままの過去だと、古臭い、むかしの話になってしまいますが、光りの当て方、意味づけによって新鮮なものになることがあります。新聞の歌壇には、ロシアのウクライナ侵略以降、この悲劇をめぐる歌が載るようになりました。日本が当事者となった約80年前の戦争がよみがえる歌もいくつもあります。例えば2022年5月2日付の読売歌壇にのった次の一首

  ラーゲリに死にし義父あり「避難」と言う強制連行ありて危うし  東京都 青木洋子

 敗戦後、日本兵がソ連のシベリアに強制連行されて過酷な労働を強いられ大勢が死んだ過去の歴史と、ウクライナ国民が「避難」という名目でシベリアに移送されている現在の歴史を重ね合わせた歌です。作者の義父の悲劇がこのように短歌によって現在の私たちに届く意味づけがなされています。
 言葉遣いに慎重にならなければなりませんが、かわら版「更級への旅」を読んでくれている方から「楽しい歴史だ」という感想をもらったことがあります。わたしの光りの当て方によって、過去が現代の人に新しいものとして届いたと思うようになりました。