さらしなの歌
野の景色など、さらしなの里の魅力を短歌にしています。随時掲載。2022年冬から23年春にかけて作った歌を編集して、フォト歌集「ひかりのキャンバス」を発行。
このごろは漬けものジャムにもなれなくてそれでも明るく最後は車座
青葉敷くふっくらかまぼこおいしそう出来立てのうちにわさび醤油で
朝告げる大きな声のニワトリはここにいたのか飛べるじゃないか
水張りの田の時季にだけ星たちは自分のすがたを見ることできる
三峯山(みつみね)の三つの峯にくすぐられおなかが弾けてしまったかえる
生きている化石にことしも会えたのでわたしの年は億+1歳
悩みごと考えごとはみんなある心ゆくまで考えなさい
選ばれて残ったのなら斜面でもまっすぐに立つ堂々と咲く
のぼる日の方角にゆく人たちの寝顔に差してる光りのたぎり
わたしには見えない猫が水中を歩いていますアメンボたちと
このような色たちが降るところなら酸いも甘いも万物に宿る
富田久留里展「不知灯(しらぬひ)」
@長野県千曲市土口のart cocoonみらい
水やれば鉢からカエルが飛び出して空には二つの大きなまなこ
丼ぶりのフライにするとうまい鯉食べたくなってやってきたワニ
くつ下を履くまえに爪を切った朝 窓を開けたらあんな遠くへ
ふくらはぎお尻の肉の盛りあがり当地に寄せてきたその宿願
百年を超えればまゆげは苔になる剃るのひかえて大事にしなさい
きみ早く渡ってくださいお月さま隠れて会えなくなっちゃうよ
さようならまた会えるかな語り合い尽きないけれど出発するよ
映すのは海辺のコンビナートたち水は命のダイナミズムと 「頭無し(かしらなし)―headwaters」長門裕幸さん(千曲市アートまちかど・春コレクション展)
このような呼び名の斜面であるならばなんでもひと味ちがった作物
母と子の名をいち字ずつ持つお寺参ればいつもパワースポット (母光子一周忌)
見てもらうためには技が必要とシンクロナイズドフラワーイング
あまりにも陽気がいいので踊らずにいられませんと杏の木たち
生まれたよ知らせたくなりはるばると西の空から来た浄土犬
これこれが啓蟄だよと春猫がときおり高い跳躍をする
散る花を雪と思ったいにしえの人の気持ちがわかる雨風
年代と種類のちがいともにあるあんず庭園 庭師に会いたい
わが里の春本番を知らしめる川原の王者のみどりのみなぎり
流れ着き咲くものだけではないようで這い上がるそのたくましさ
遮光器と名のつく土偶あらわれてならばわたしもとウーパールーパー
いくつものすき間に落ちた種たちは石を動かす風とみず待つ
プリウスに乗ればわたしも川をこえ月の舞台に立てるかにゃ
もうひとつ別の世界があることを冠着のみず地下をめぐって
この春へすっかり整う身だしなみ少しおしゃれに赤のラインも
発掘の大発見をみた後はここにも宮殿あったかしらと
寒いほどいにしえびとの感慨はとどくコンビニ常習者にも
お砂糖は活力のもともう少し取ってほしいと天の滴り
上がりばなの月がお好きなあなたには見せてあげますしばらくどうぞ
鉄たちの行き交いが絶つ別世界それでも知りたいきつね猫たち
たくさんの子どものボールを受けとめた古木の顔のあきらめかなしみ
側溝は舗装みちだから人よりもひと足はやく点検します
きょうの風あしたの風はちがいます見上げてくれて感謝してます
藍色と黄土色のまじわりはみどり自然の混ぜ合わせ色
楽しみはひと足はやい春景色きみどり水いろ紅の玉たち
(第九回北信焼物展ーいろどりの陶ー @千曲市アートまちかど)
こんな日は雨か雪だなそのうちに ひとつの屋根のしたの共感
つんつんと三つの峯にわき腹をつつかれのけぞる日暮れの巨人
大水に埋もれた川原の土砂のした冠着のみず湧き続けおり
西山のはるか向こうにすむというあのまぼろしの山越し巨人
なんとまあ白くすがしいお山かな筵のうえのおりんばあさん
これくらい大きな棘ならむしられまいまもなく川原の巨人の目覚め
ほんのりとみどりをなして春そこにみんなに知らせる川原の王者
にぎやかに天の楽団あらわれて今朝もこれからめくる新聞
髪すいて白さよく見えよく映えて決めるポーズをもうすぐ節句
谷あいをのぼったところの古峠(ことうげ)で千年前のみやげが決まる
ああやはり切れてしまったくもの糸つかまるひとはいつも大勢
プレートのぶつかりあった高まりに耳をすませば聞こえるひしめき
太陽のしずむ山ぎわその里を御麓(おんふもと)と書きみろく(弥勒)と呼びます
尾根みちは広くないけどそれぞれの位置を守ってイノシシ家族
黒ごまをまぜて焼かれておさとうがしたたり落ちてあわ雪せんべい
足跡を残したもののあとたどり突然さきが消えた川岸
体温がいのちの数だけある箱です積もった雪ははやくとけます
ライオンはじょじょにやさしい犬となりついには大きなしっぽのきつね
冬なので焼き上げましたたっぷりの雪みつ入りのカップケーキ
たっぷりの餡をふくめて神さまが最後に包みあげた山です
麦の子が地上に両うで伸ばし上げひかりに満ちている黄泉の国
沈む日は自然界にはないという直線みせて隠れていった
はじまりの冠着の岩つかんでる仙石の杜(もり)の大杉たちよ
用水とあぜと車道がよこ切るも麦の子たちは列くずさない
落ちる日を背中にふゆ野にたつひとはこんなに大きいものであるのだ
天めがけ飛びたつ赤矢となれずともその意思ちゃんと撮っておくから
お日さまは帽子の耳あてはね上げてきょうはここまで光りの絶唱
水色が恋しくなった魚たち巨大化したくなる風のみち
お日さまが去ろうとしても動かずにまなこ細めているだけの野良
お日さまのおなじ熱量うけとめてそれぞれ違うひょうげんの里
安曇野に負けてはいない千曲野とよんでた画家の気持ちがみえる
アートまちかど《近藤早苗回顧展~まるで桃源郷…。杏の里に生きて》2024年1月7日~2月11日
よくおいでくださいました冬ぞらはとっても冷たくさむかったでしょ
身をよせて動かぬ野良の凍るあさ上掛けぐらいすればいいのに
腕をくむ野良のおなかと胸のしたひと足はやく草萌えるかも
風よ押せ生まれたばかりの白玉をわたしが最初に手に入れるのだ
よい月が東の山にあらわれて伝説のひげの愉快なおじさん
知られぬようけだかく猫が空をゆく 東の山はうそをつけない
風つかみ見わたしたあと去りゆけり目指すところはここにはないと
みずいろの雲あらわれて寒いけど上京したときのクリームソーダ
冬を越すいのちの集まりたまり場となれば付き添う影たち日がな
この水の中にすんでる魚たち夕焼けということばを知るか
成長の途上は進むきのうより大きくなって見上げるばかり
紅まとい大きく開いた白椿ういういしさはみんなにあった
霞堤その名を知らず水神も見ぬまま通学ああ五十年
ばらばらの飛翔の集まり騒ぎ合い ぶつからないで目的果たす
一条の散歩道でき王たちはくすぐったくて眠っていられぬ
山にあれば数倍太いその根張りおなじに見える亡父の鉢も
しわのない眉間の寝顔あの野良がこころを許すほどのわら床
敷きつめは五十年まえ入り口の土間にうっすらけもののあと
おひさまと時と流れを材料に出来上がりましたどうぞおひとつ
鳥だって慰められないときがある ひとにならって月を見ている
水が減る季節にわたしは現れるあなたの歩く道より上です
青ぞらは培養土です 川原辺のねっこは仕事を小枝にゆずる
ひとりだちして手に入れた自由という躍動の舞いそれぞれの色
こども美術展inアートまちかど
おいしそうそう見えるから近づけば「おいしく見えるくふうをした」と
こども美術展inアートまちかど
14のこころは燃えてこんなにも多くのいろで世界を築く
こども美術展inアートまちかど
わたしにはランニングシャツは無理だけどかた腕上げるぐらいのことは
峯のぼる上昇気流が強ければダイブしている巨人と犬が
これからの夕べは光りまぶしくて読めなくなると案ずる少年
近在にない大木であり景観がよいとほめられ照れるムクロジ
我慢せず帽子ぐらいはどうですかあなたの名前のストーブ着火
はしを架け橋をいくつもかけてきてとってもひろい野原いっぱい
ロゼットの呼び名がついてる冬を越すいのちのすがた地上の星
縄文の燃えてる土器がかっこいい ことしを締めるあんずの木たち
このようにいのちは生まれ羽ばたくを月の都は見させてくれる
虹色の羽衣あればお月さまありがたく着てちょっとぬくとし
冬の日が落ちてゆくときそのときの夢まぼろしの三角山
青い月たのしめるのは今だけと歌声なんども奏でるとんび
雨かぜをまぜた田んぼの土ころはきざみ稲わらすずめのごはん
おとうさん月がうしろに来ているよ そうだなこんなに景色がよければ
映画にも出た木のはし平和橋 見ようとすればいまでも架かる
晩秋の峯はこの世とあの世との境界線かきょういい夫婦の日
落ちてゆく思いはよくよくわかります光りとなって枯れた穂たちは
冠着にだれがいちばん似ているか豆の木たちの腕くらべ
枝のぼりもいでる少年県立の美術館にて見たことがある
幼月(おさなづき)見えてしまえば大きいがその喜びは写ってくれない
冷えこめば千曲のながれ立ち上がり山やま越えるほどの熱量
パレットの絵具を全部まぜたなら仕事を終えたあんずの木色
らせんとは樹木も人もあこがれのかなわなくても天への階段
冬枯れのさとの黄色がまぶしくて影が秘訣をききに向かった
このまちの装い月の都ならすべてものにやさしい光り
晩秋のいちょうはすごいいち日の光りを夕べともし火にする
このような月を見たかもわが心なぐさめかねつと歌った人は
どうせならこんな頭髪めざしたい近藤正臣さんはこの髪
この画家のこの画のタイトル「月を射る」月の都の一枚にしたい
この道はどこまで続くかたわらの白菊だけがたずねる相手
はじまりへいっしょに向かう子どもたちこのすばらしい愛もういちど
沈む日は幸せであるそのひかり預かるものがいる秋の土手
縄文のえせ村人に何か言う朝から芋を焼きつづけた木
いちど目に見えてしまえば顔に見えこれなら邪気たち里には寄れない
これだけの子たちがいれば旅立ちを望まぬものもきっといるはず
かつてわが泳いだながれに竿をさす青年どんな未来を釣るか
西山の向こう側にいる極楽の浄土のあみだ如来さま
いち年の疲れをとるには枯れ草のお灸はどうかと野原の提案
左手の窓には母が子を抱いた児抱岩(ぼこだきいわ)が見えております
来年の実りのためにわたしたちことしはこれが最後の燃焼
仲間たちみんな飛び去りその後にひとりながめる視野の大きさ
どう水をかけばいいのかこの冬をすごす準備をまずは岸辺で
暗ければほたると月のひかりにて学問したという歌がある
縄文のいずみに住まう黄金魚そらを揺るがす尾びれひとふり
一万年続いた縄文かむりきは麓に見せたくなるほど魅力
信濃なる毎日新聞けさもあり照らされ光る配達のひと
わたしたちムーンシティーの人よりも先に見つけてコバルトの風
葉が落ちてみんなが受け止めやすいので転がることを恐れはしない
立ち上がるくずたち戦う構えだが動かぬままにきょうも日の暮れ
見上げよと歌声がする天上のはかなく白い半身の星
はぜかけの実りはとても重たくて緑のバンドエイドの覆い
砂漠ではバーニングマン燃え上がり四季の国ではくず立ち上がる
枯れ畑であそぶ子たちを守ろうとわたしを射抜きつづける目線
通夜おえて帰る先には昼まには気づかなかった生まれたて月
顔はんぶん耳でできてる命なら潜むわたしを見つけるはずだ
地球外生命体たち今ならば着地の場所はここを勧める
修験者(しゅげんじゃ)が交流をした冠着と飯綱山のそらの飛び石
たっぷりのお日さま吸ってぬくもりの毛並みとなって刈られるを待つ
十八夜こよいの月の出遅いので出どころここと雲が教える
更級の子らは来た道ふりかえり冠着に吠えすすんでいった
これだけの間隔あれば寝返りもしやすいだろうお疲れでした
刈りとりの境にさいた彼岸花どちらの岸が涅槃であるか
均整のとれた牛たちたくさんの胃袋とおってお日さま米に
冠着の里の農家は粋である締めに見せるは田のピラミッド
聞き耳を立てる冠着むくどりの満腹の場をみんなに明日は
近づけばすばやい逃走とのさまの若君なのかやや細おもて
わたしたちの山のように立ちたくてスクラム組んでもうひと仕事
四方から集まり合体くもたちはスーパークラウド月都権現(げっとごんげん)
まっすぐな三びきの子に負けまいと大ジャンプするその肩まわり
そんなにも食べたいわけではないけれど夕焼け色のシロップは好き
月のふね明けの明星しるべとし千曲川のそら安心航海
たっぷりのお日さま吸った土たちはかきまぜられてチョコのエクレア
あかつきの束の間のとき月のふね見えて隠れるくもらの波に
土手道のおや指に似る水神はわたしと一つちがいの生まれ
たくさんの野ぐさが空をめざしたが這うもの天にもっとも近い
もう月はいらない入る場所ないと言うかのようにあの早苗たち
月が出てお日さまのぼる峯と聞く それなら空を泳いでいこう
去るべきはどちらか迷う口ばしを目掛けられればもうよけられぬ
冠着はのろしをあげる天たかく何を知らすか震災ひゃくねん
やせすぎが心配だけどその動き野良のなかでは最もはやい
後ろから太陽が追いかけてくる刹那のかがやきあけの明星
峯のみち近道なのはわかるけどまだ暗いから気をつけてゾウさん
さあ月を楽しむ山の頂上に着いたぞまずは腹ごしらえを
かっこいい月なので糸噴き出せばさらしなの里に着きたりモスラ
冠着にモスラが来ればおれもだと鏡台山にあらわるゴジラ
早起きのくまの親子の散歩道よくきたなあと迎える鳥たち
海越える蝶がいるのだその翼広げる泳ぎバタフライという
東山の向こうの世界が知りたくて巨大化する鷺わが家にも寄れ
帰ろうかお日さま上ってきたからな真夏の夜を遊んだ雲たち
ひと雨であればたたずむ余裕あり虹の足もと探しておりぬ
西山におおきな鼓の音がしてお盆のような青花火咲く
ひさかたのおしめり終わりたたずめば天を駆けゆく光りの白馬
お日さまがのぼって来たぞさて今朝はどの葉で寝るか思案のにひき
骨と骨の並びがずれている所あるから痛くはないですか
青い目のモフモフ犬が現れて去るか去らぬか考えるさぎ
この桃は特別な人のためのものお盆の前のさいごの一つ
堤防のこちら側には四車線バイパス計画できて半世紀
降りぶりのすごさの中ゆえ撮りたいと窓を開けても入らぬかえる
ひまわりの大きな葉っぱはときに揺れ居心地いいからおまえは寄るな
お日さまがのぼっていけば田の水となる用水を流れるひかり
子どもらが来たのであれば速度上げ28号グーで迎える
子守歌そろそろ終わるときがきて楽譜にひとつピリオドの月
あぜ草を払ったあとの雨上がり しっとり抹茶のひと切れケーキ
補助輪がとれて何年たったのか両の脚のび見ている遠くを
神の木のりっぱな根張り集落の全部の家の下までのびる
なだらかな峯の坂みち東山 月はのぼってよく転がらず
天の原冠着の峯にたちよれば里神のぼり親睦の会
客人とわが里よく見ゆ三峯に着けばどうぞと迎える雲が
たっぷりの水をふくんだ朝もやの仕事は月の舞台の磨き
ごみ詰めて投げて楽しいひとがいる代金五円支払ったはず
破れ目の修復おえた芝草に芽ばえた向こう側までの野心
この国のひまわりの木の葉かげではかえるが憩うほどの湿潤
草とりを終えて休憩冠着はいい眺めだなあと緑の子たち
図鑑にも載るものばかり土手道のわきの空き地は神の寄せ植え
全身で強き川風うけ流しやなぎはついに川原の王者
若宮が導き入れた千曲水 里をめぐって稲株ふとる
川原からさえずり届くけさもまたカッコウ里の夜明け告げ鳥
すずめらも気づいて声を上げるほど集中してるおとなしのさぎ
雨ふりのあとは楽しい水たまりもっと奇麗な世界がありそう
天と地の反転かきまぜ立つ香り鳥たちきては無心に食事
この花はひとつはかなく咲きはじめ立つ足もとは細く強靭
この野ぐさのもともとの名の犬っころ草 唱えるエノコログサとなるまで
けさもまたあいつはスマホをさしだして撮ってるモデルになってあげます
月と日の上る舞台を朝もやがおおいきれいにさっぱり仕上げる
筋だけの棚のぶどうは半年の光りをあびて緑のなだれ
お日さまが何か言ってる口角を上げてもうすぐ体操の歌
うたい終えみんな眠りについたなとかえるの気持ちになってお日さま
真向いに冠着山がどんとあり負けじと毎朝のぼるお日さま
おなかややふくらむ月がきいている冠着奏でる里のララバイ
六線の楽譜に冠着位置を占め夜ごと奏でる里のララバイ
川原辺の高き株立ち冠着は「コゴメヤナギの広場」と呼べと
浅草の高層タワー知らぬのに冠着見たいとこんなに高く
雨ぶくろ耐えきれず穴あいたかのように来るこの気象現象
災害級豪雨のあとのこの青さ景色にはみな意思があるという
この空のどこかを進み少しずつおなかとからだを大きくする月
窓開ける柵にはきのうの蛙いておはようと声かけるも眠そう
育ちゆく早苗の立つ場は固まって入ってくるものみな早苗色
いちばんの朝の日当たりあびし柵寝床に全身あずける蛙
雲の間の大気の絶妙前にして生太陽が姿を見せる
あさの日が入る早苗田お気に入り燕はきょうの身なりを整う
冠着のそびえなければ知らぬまま生まれたばかりの赤子の月は
ふるさとの景色吸いあげ早苗田は遠き縁者の胃袋に入る
お日さまは月とおんなじ大きさだ 太陽系の配置が浮かぶ
ぬかるみを普通に歩く黒鳥の爪のように広げる指を
早苗もう育つのみなり強き風しなやかに受け流せる根張り
ほんのりと顔を赤らめ隠れてる小梅青梅そのみずみずしさよ
耳元の真夜のかえるの子守歌早苗よく寝るよく育ちゆく
少年の手と口染めた桑の実の道あり行けば赤の絨毯
きょうこのひ早苗迎える水張り田 赤の水引朝日の祝い
雨なかのひたすらの立ち撮りたくて開ければ手ぶらで飛び立つさぎは
土と水まぜ合わせればクリームをのせたポタージュ滋養のスープ
たっぷりの水をたたえて水張り田うごかぬ明けの空をうつして
わたしには火口が命の表現場受けとめる画家生きている山
軽井沢の志な乃と名のあるそば処味わうさらしな舌と耳とで
昨夜から一滴ずつを預かって田おもて移ろう光りのキャンバス
朝の日の燃えるを両の目み開いて見つめつづけて動かぬだるま
お日さまの通る道あけのぼるのをみんなで待つ雲きのう大雨
ひとつだけ水にひたっている田んぼ すべての光りここをめがけて
山手線大塚駅よりふるさとの山をながめて勤めし日々よ
月が出る峯に生まれる雲たちよ月都(げっと)の産をあまねく誇れ
いくつもの風があること雲たちが見せて大きなふるさとの空
野の道を通学路にしてゆく少女そよぐ麦の穂整う今日が
天候を味方にせよとわがからだ帯状疱疹巣食わせながら
お日さまは悲しい宿命その姿さえぎりありておぼろに見せる
たくさんの夜を見てきた野良だからそろそろかもと月の出を待つ
食べたきはゆでた青菜にたっぷりのたまごソースの春のテリーヌ
少年の大人にかわる声たちを風が運んで木草がゆれる
水たまりあれば冠着磨かれた自分のすがた映しておりぬ
この春の土手の支配者そのなまえ弱草藤と弱の字を持つ
この時代いまと変わらぬ人のかず下るを急ぐ山の民たち
命かけ道を横切るそのわけを聞くを許さぬけむしの走り
野の草のさえずり楽しヒト科との共演その名はCBB
求愛の競い合いだと知らずして拗音濁音駆使する六十路
羽ばたきの大きさ耳を澄ませれば小さきものは光りの玉よ
冠着とわが店の月向き合えばなんと多くのひとの行き交い
あの山のてっぺんに神いなさると言いし媼(おうな)は仏となって
野良でさえ立ち止まらざるをえぬ月を野良写そうとして知る不覚
いちどでも顔に見えれば連れてけと新たな世界もとめる子石
良い香りとっても甘い蜜あれば出口はあとに考えること
月の道ふき清めたい北風に合い間もいいと雲はゆずらず
はじまりの冠着の石うづもれて果樹の根が知る仙石のさと
置く場所を決めればそこに現れる異世界の窓あけて楽しむ
千年の大時空間その中のひとこまとなり浸るすがしさ
あまりにも陽気よければ掘り上がりもぐらは爪を隠すを忘る
闇うがつ小さき光りのうす紅を刻し始める老いとの同居
過ぎたるを蘇えらせて新しき過去とう夢を世阿弥はみせり
季の実 万象の光りをまぜて清流はとどめず色を冬の日ぐれは 暁闇の星のすごさよわが頭じょう北斗七星五十年ぶりの 凍て土に伏してうわ目にわれを追う野良の眼のたじろぐ強さ ふる雪のさまを聞かんと帽とれば聞こえてきたりわが体内血 落葉の杏の幹は黒極め季の実の紅をたくわえており
日の差せば温もり好きの猫がきて切り株の身と一心同体
さらしなの砦としての学び舎と思うときあり扇状の里
わが店に小鳥よくきて見送るに窓辺におちて動かぬ小鳥
山越しの巨神鉄人28号を見つけて始まるひと日
雨だれを集め雪畑いくつものお日さま入れるセルつくりたり
日だまりは去れども野良はたおやかに大きなおなかと一緒に眠る
武力なる行使をせずに去りゆきし野良はおなかを大きくしおり
首背なか脚こし伸ばしその筋に最後に見せる冠着山を
それぞれを灯らせ居場所きわ立たせ「あとは知らぬ」とお日さま隠る
香ばしきにおい立ちたり練られいて温かそうでうまそうであり
新しき道ははたけの土のけて砂利土砂いれていかにも固し
はごろもにお迎えの舞い音曲にあまねし天の大時空間
灯油燃ゆ赤き炎を両の手に受けとめ芯を温めりわれの
動かねばよどみ芥は凍りいて流れておれば目標近し
見つけたりじょじょにしか首起きなくていずこにもある空のおおきさ
ゆえあってさらわれ波にしごかれて極むすがしさ落日あびて
子ら上げてふるまいくれしおばさんは娘(こ)のすむ都へ笑顔で行けり
甘からくしょうゆをとけば待つのみのねばり気のあるはかなき破裂
二十年待てれば朽ちず人気ある物件なりしかむりきの里
夢おおき平安少女の晩年のわが地に寄せし夢かなえたき
定年いち年 職ひいて閉めていたりしふるさとの店を根城に残りを生きる 田の中にありし店なり台風の過ぎりに客のおしゃべり楽しき 停留所に張られし映画のポスターの厚みおとなの世界の入口 希望にはかなしみそえり朝明けをうつす六月梅雨水張り田 田鏡はうつせり万物日をあびて成長するを早苗のねづく 捨てられぬもの売れ残り苦労という母の付加価値ついているらし 読みふけり母はほこりのにおい濃き封書をわれに「汝が持て」と言う さけ咥う熊も老いたり木はだ透け円きまなこの古りし置物 扉のあかぬ置き時計なる秒針に電池の精のすべてがそそぐ 捨てることでその在りしことまざまざと浮かびまもなく消えてゆくなり 躊躇せりグーグルアースにふるさとを動かしおれば見てはいけぬを 目の前をゆく人は元すご腕の検事なるかもラーメンすする まぐろなら吾が好めるは赤身なりづけもうまいぞ浸かりし時間 はがねなる網の入りたるガラス窓世界は一つひとつでできる 笑点を見ずにいたればラジオから岡村孝子の代表曲くる 越後より上るに源流はるかなりまずは信濃の平が迎う 高きへと流るる用水あるを知りわが体内の血液いとおし わが生地さらしなである都人歌に日記にその名あこがる 人のへる国なればとは思いつつ更級郡の消滅かなし 完成はしたらつまらぬ打ちこめぬ「敗者さらしな」言の葉見つく 散りぎわに眺めたきものさらしなの種のまかれし四方に千里 極楽と唱えてひと日しめくくるゆ浴みをのぞむ朝(あした)のとこに 返納に老い父乗せるわが車おそわりし道ゆく通学の ゆく電車その定義もし問われれば一つ答えは手をふらすもの 願わくば無理の余地あるわがからだやかんに徳利夕べに落とし 過去時間のたまり場にして行きわたる身体にすべく柔軟もする 書けぬゆえ捨てんとしたる鉛筆は9Hとぞだれが買いしか ためおけば捨てられる物おしまずに見せて使って記憶の風に 渡月橋わたりきる子の言葉なり「振り返らずにいるは難し」と わがなすを三十年後はごみとして捨てよ子どもらここは古る里
この青きすがしみ空に吾娘(あこ)を乗せともに歩みし堤防くだる
冠着の古き峠にかかる月みやこびと見し峠に里に
水張り田一つ水面はひかり居て暁闇のさと黄泉の入口 くねりたる野の道五十年たてど変わらず別の世界への道 流れゆく水面の明滅みておれば光と影は同義語である 見つけたり徐々にしか首起きなくていずこにも在る空の大きさ
人などは微塵のごとしさらしなの里の走者よ冠着をみよ
白壁とみどりの亀のあかりとり嗚呼モダニズム姨捨駅の
白き身に赤き頭をのせ亀まとう姨捨駅の千年万歳
さらしなの月の光のあまねしは姨捨駅舎その白よりか
国宝となる平安のおみな編む更級日記われらの里名 (藤原定家書写「更級日記」国宝に)
人と物、ことなりわいをかがやかす舞台なるもの土地のよび名は
のぼる日をまといくじらと小魚いて雲の海とはこういうものと
もののけは夜をとびかい日のさせば魂(たま)となるものガメラとなるもの
秋さむの土手にぬくもりほしければ掴むビロードモウズイカの葉
何羽かは強きながれに退けど前をみつめて身をまかせおり
葉を落とす峯の木ぎをし焚きつけて上がり場しらす晩秋月は
泥水をかぶる石たちひあがれば白玉としてそれぞれにあり
いち年の収穫祝ういろいろの餠たちおはぎさくらにきな粉
あの月は信長秀吉家康の眼にもあり流るる涙 2022年11月8日 442年ぶりの皆既月食
わたくしも葦であるなりパスカルの言の葉ふいにわがうちを舞う
みひかりをまとい豆たち熟すなりただひたすらに叩かるを待つ
羊羹のスライスのせたり電熱線引きし田もあり嗚呼ふゆ支度
求めるは魚か砂利かそれほどの違い晩秋千曲の河原
豆がらはひたすら枯れて風ふけばからからからと大合唱す
千曲誉(ほ)む万葉歌碑の主導士の集なき千曲を名乗る自治体
日本の最古の獅子舞さらしなの縄文村に精霊おりて
おんふもと字を当てし人見事なり御麓(みろく)区の向こう浄土とおもう
捨てられた姨の数だけ捨てた子をさらしなの秋草露に見す
しみ作る日差しをあびるガラス器の放つ光りをひとは楽しむ 桑の実は絨毯として吾の足の衝撃を吸い道染めにけり わが髪をひろえば浮かぶ白猫のチビの遺髪のあまたありしを
暗雲も貫きゆけばそこにある四方に遥かな光りのそそぎ
追い風か向かい風のみの堤防に少年老いて横風を知る 交わればひとつ生じる逆流も円を描きて大きな流れ 天下る鳴る神のみち切っ先のごとく山河はほのかに血の香 海辺より帰り川原に立つわれの鼻孔に残るう潮のかおり
切り口は窓外にあり茶とともにたしなむ虎屋の新更科を
はじまりはここに家あり国じゅうに信濃を歌いたき子育てり
鬼籍入る猪木氏われは半世紀前に触れたり闘うからだに 異なるを相克したる先駆けは猪木寛至氏われの十代 猪木氏の月の都の月をみて吠える言の葉聞きたかりけり
引くことでようやく見えし布引の牛岩えとの五度目のめぐり
西の地を治めて仁科と呼んだのか科野の子地名ここにもあるか
名月の上る舞台はシャワーを浴び磨きをかけて中秋待てり
その中を高速道の隧道の行けば呼びたし「一本松山」と
大崩壊三十万年前にあり二みね従う三峯山は
原始なる三峯山の大崩壊棚田の土は幻のみね
山中に衆生の標本あまたあり大魚もおりし聖博物館
窓ごしに降りそめ知らす納屋のやね轟く気候危機の大きさ
変わりゆく日付の刻の小水のまなこにまぶし鏡台の月
退くは我れのほうかと思えども黒鳥羽ばたき白鳥となる
七色は見えない虹も夏だからプラムマンゴーメロンクリーム
納屋に寄り過ごさんきょうは天と地をつなぐ極太雨の御柱(みはしら)
ため池の浮葉の群れが鉄塔をプリマの脚にかえる夏の日
姨捨の棚田を鳥の目で見るを憧れさせる能登千枚田
ずんぐりとむっくりと呼びひと日終う左べんとり右どうの山
それぞれの葉ばに飛翔の翼あり川風ふけば始まる羽ばたき
万物を生かす聖水わきだして尽きることなく嗚呼お種池
あの枯れ木だらけの畑にたくさんの桃を実らすザリガニ爺さん
閉村の式に幕上ぐむら長の碑の言の葉に蜘蛛の糸伸ぶ
苗に跳び上がれど浸る尾びれ見ゆこの生き物はかえるか蝌蚪(かと)か
屋根つきの居場所見つけもわれを知る野良のまなこの避難態勢
崩壊し滑り落ちたるその土の青あお見下ろす三峯山(みつみねさん)は
この夏もカブトエビたち泳ぎおりまさか湯の中およいでいるとは
斑点がまなこに見えて白雲はやがて成りたり牛わがえとの
道場に下がる太なわ我がからだぶら下ぐのみの高校一年 なわ上りぶら下ぐのみのわがからだ一年ののち乗り物となる かいなのみの力にあらず全身の引き締まりにてぐいぐい上昇 のぼり詰め見えしは景色畳へと降りる自己への肯定感と
さらしなは石垣であるほどけない月の都は石ひとつなり 月の都みなが唱えばおのずからさらしなが照るさらしな照らす
麦畑(むぎはた)の畔を払えばこんがりと焼き上がりおり厚切りトースト
眺めてるうちにすがしくなる雲は冠着の上(え)に長居をしてる
眺めてるうちにすがしくなる雲は冠着の上(え)に長居をしてる
記念碑は白き光りを一面にあびて黒ぐろその意思示す
姨捨の棚田をのぼる子どもらのさえずり風が二千にわたす
蓄えし時間が身体(からだ)空穂氏の晩年詠の生まれし身体
五加戸倉それぞれの村と合併し戸倉町となる更級村は 戸倉町は隣接市町と合併し千曲市となり信濃のハート 千曲市の半分はもと更級郡 信濃の心臓三段論法で
さらしなは科野より「しな」いただいて土地の意思をし閉じ込めており 埴科郡を頂く坂城いつまでも科野の末裔絶ゆ兆しなし
マツコ言う群馬ラーメンすくい上げさらしなそばのように白いと
千年のときを蓄う更級の社宮司の地の六角木幢(ろっかくもくどう)
冠着のふもとの里やま堂の山水辺ちかけば猛禽好む
心とはゆさぶるものと知りたれば外に出てみるとにかく歩く 凍て道をすすむかわ靴白くして足元にあるわれの実存 がけを売るたて看あれば街道のながき歴史をみせるきり株 から風に幹たち上がる旧字ごとわが前にある大けやき ぬくき午後のこる足あと遊ぶ子のあかしと惜しみ掻く人のおり 反対の意味でなきなり光かげ平等院と10の関係 問題は解決されるために在るそう思うとき思えないとき
日月としてのタイトル作文に照りて照らせりすみずみまでを
新橋(にいばし)のかたえの廃道行きたればああ架かり居し赤き鉄骨
たぎりおる薬缶の語りカンカキタンカンカキタンとひとり居の店
そうとしか思えぬ連れ犬眺めてるあんずの花を歩みてはとまる
阿と吽(うん)のたぎる熱量その腕と足をはう血の管へびのごと
人心を打つはうまくは説明のできぬことだと春樹の訳に
八年を続けし柔道理想なる身体感覚植え付けくれし
鍛えないからだが気持ちいいと言うところで止める五十過ぎては
からだとは乗り物である堤防を走りておればわが魂(たま)あらわる
お彼岸の高速行けば横雲は白くおおきな翼のはばたき
みどり生う春畑の舞いおみならはシンクロなして桃実らする
故あって生れし白雲そらを駆け孤独のランナー風神の舞い
ちくま川春ゆく水はすみにけり消えていくかの峯の白雪 順徳院
わが生まる十年前に描かれし少女に似る吾娘(あこ)あす二十八
魅力ある獲物あるらし雪したのジャンプのあとの春待つきつね
東山こよいの月はいずこより事務所の厨(くりや)に温む酒を
照らさずもよき明るさにてる月をしみじみ見たり定年なれば
燃えはじめ燃えひろがりて山の端は月が生まれる闇がきわまる
吾(あ)と母の名を一字ずつ善光寺とりておわせり寄れば見上げる
善光(よしみつ)の寺の近くで叔父父の善教善胖(よしのりよしひろ)吾の名を決めし
更級の郡庁ありし塩崎が長野市にあり千曲市になし
ルビなくば読めぬ人おり千曲市と冠着つけずもよき日いつ来る
冬来れば雪の装ひしとやかに母を偲ばすかむりきの山 長野県麻績村の渡辺坦平さん(故人)の歌
綿半を出づればそびゆ冠着は「見あげよ」と言う綿半また行く
山の端(は)にもち月あれば湯をわかしいそぎ雪見ぞ雑煮をしめに
ふる雪の結晶おなじ形なくあまたの白きミニ宇宙船
角のあるゆえに真白しふる雪は「まるくならずもよし」と言ってる
たまたまの気象のなかを落ちてきてつながり結晶六花となれる
はじまりの結晶おなじ形して地に降りる雪おなじものなし
六角の砲弾形に生まる雪衝突しながら六花となれり
天空で生まれし雪の結晶は触れ合いながら六花にそだつ
手のひらに落つる雪ひら順番に白を埋めこむ「なれ清まれ」と
にび色の空を見ていて思うのは雪ふりたまえ降りたまえ雪
豊年のきざしと雪がいわるのは幸としらべのおなじゆえ説
雪ひらに入りこみたる音たちは居心地よくて出るを忘れる
しづもりに床出で窓を開けたれば雪畑たかくとんびの舞えり
キョエちゃんかカラスかまよう冬枯れの岸辺にぎやかまあよく似てる
「歴史的事件」と歴史家更級郡きえるに言いて歴史にのこす
新市名「更科」「千曲」があらそいて千曲に軍配きん差であがる
郡として消滅あらたな市名にも選ばれずなり敗者さらしな
土地の名は戦略である新市名「千曲」は戦略の失敗である
山越えの案内板に「更科」とあれば坂道たのしからんに
平安の「更級日記」のさらしなは信濃の国の更級である
あらしなは何のことかとわがシャッター喜びくれし人は逝きたり
わが育つ店のシャッター十年ののちの引きあげ足もと光る
いち年の土のしごとの総括を新雪みせてふゆは深まる
雪下りて舞台はしろく整えり さああらわれよさらしなの月
さむければ釜あげうどん白きなるゆだりすくいてつゆにひたして
手をつなぎ歩く親子を描(か)きながら「自転車道」と呼ぶ不整合
雪片に入りこみたる音たちは居心地よくて出るを忘れる
朝の日をはじめにあびて冠着は里人の目に光りとどける
閉店10年改装の記 「どうする」と聞けば「とっとく」母は言い古き品々なかなか減らぬ 捨てられぬは売れ残りだが苦労という母の付加価値付いているらし 小型家電の回収に向けわれ出せるミシン足もみだけは母除く 読みふけり母はほこりの匂い濃き封書をわれに「汝が持て」と言う 倉庫奥にたてかけられしポスターの和服女性は夏目雅子似 握力の弱まりのなす落水の音色すがしき流しのおけに ごみ袋にわが入れたるを母出してわが見ゆる場に置くはかなしき 幼年の孫の写真をみつく母菓子をそなえてひと日始める 使うことあり得ぬわれは母いだく思いを断ちて袋に放る 背表紙はきおくの呼びだしし装置だと思うのでまだ棚にさしおく 空きびんにささる色ふで使えるか試し書きあり母の芸術 なぜここに輪ゴムがかかる流し台輪ゴムなるものかくも大事か 「捨てるんだ」かなしきわれよだまりたる母の沈黙なにか語れよ ラジオ言う「悩める人の救いとは悩むことだ」とさて昼飯だ 捨てる価値とっとくよりもあることを示せているか怒鳴りおるわれ 母の目に片づけの鬼映りおる そう思いつつ業者を手伝う 母わざと先の日程きょうなるか問いて関係はじめる朝 捨てなくばそのありしこと浮かばずにひたすらなくてただごみとして 死後のなぞ小学五年と変わらずもカーテンを引く母は老いたり 歳末の店番たのし強火力ストーブのまどに炎おどりき 木の箱の化粧箱なる装いの歳末みかんわれは食いたし 六時すぎカーテン引いて戸を開けて台に上がれば届きしヤクルト ふるさとは四十年という不在なるごみ受け入れくれる深きふところ 店頭に積みあぐみかんの白き箱ふるふる雪にだいだいいまぶし 不凍栓ひねりし後に暗やみを来てふきだせる水のぬくとさ 出かけるに居間の明かりを灯しにき田の中の店ぬかるみ沿いの 台風のよぎりしときはお客さん残ってもらいおしゃべりしおり 台風の過ぎりし少年時代には客のおしゃべり心強かり 片づけの鬼とう言葉われ唱えかなしき声の母に屈さず 二十年わが拠点なるさらしな堂ブランドビジネスさらしなの名の さらしなの地名ブランドビジネスのモデルでありたしさらしな堂は いつもなら蚊の飛ぶどころに大きなる黒の落ちたり窓に目振れば 山持たぬわが家みかん箱こわし薪としたり冬の校舎の 店の主は築地で商い経験のありしわが母まかされしとか 忘れてるはずと念じてわれ捨てる箱も母なる眼に入らぬように みんな持ってっちゃっていいのと母の細き声われ片付けの鬼ぞ聞こえぬ ひもつきしペコちゃんの袋すてるべき棚にかけたる老い母いとし 捨てること玉条とするわれに母「捨てちゃっていいのかな」とぽつり 地の人のデータベースは最近の情報少なし閉めて十年 いつか母詠みはじめるのか入院のさなかに作ると手書きをみせり よく客と笑っていたりレジの母聞き耳すれどわれは笑えず 老犬に「ばかだなおまえ」母言いき最期の世話を明るくにないき 頭をば下げずに商うめずらしい人だと母を評す社長おり 「白いのがだんだん山をのぼってく」母言いだせば春は本番 「まあよくもはげてしまった」しみじみと吾と同年をテレビに母は わが里は更級日記題名の地である今はなき更級郡の 更級日記作者の思い受け止めて伝えたきをの表現手伝う
おばすてと都人たち呼んでるぞ 千年前のふもとの議論
冠着をてらす満月こうこうと沢ざわ下らせ光りをまけり
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棒のごとき
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初雪は地上に白をふりしきてこの世を浄化せよとうながす
白く行き白くもどり来(く)みねしろき山のふもとを新幹線は
見つけたり白の美意識さらしなに日本貫く棒のごときを
さらしなの姨捨に来てもち帰る若返りという心とからだ
4月17日 平安時代に彫り出された十一面観音菩薩の春祭り
欅(けやき)なる一木彫りの智識寺の十一面の観音立像
平安の世にあらわれて千年の涙ながせる智識の菩薩
お顔には目もとをくだる二つなる白き筋あり千年なみだ
二メートルゆうに超えたる見あぐれば首は背筋とつながるを知る
あらわれし平安時代は十一面冠着峯に近くおわすと
遠足に担任かたりし智識なる観音あまたの苦悩あずかる
菩薩さま峯よりくだり里人を守り守らる大御堂(おおみどう)にて
なぞともに更級への旅二十年言の葉そだちつぎは実と花
冠着橋
河原に木組みのおりし冠着の橋の上下の謝意と気づかい
貧しくて渡しきれずも途中より原におろせば人は渡れり
大水の出れば木組みは流されてのこる鉄筋コンクリートは
日本の育ちとともに増築し架かりしときは四段の幅差
名誉なるよびな「天下の奇橋」にはかたる切り口あまたありけり
名づけおやは一般募集にこたえたる冠着山のふもとの男
わが里は古来ゆ都びとたちの大きあこがれさらしなの里
子育てはほめる時代の日本遺産土地の名ほめて活かすやる気を
豊臣秀吉と伊達政宗それぞれに「さらしなの月」の歌。さらしなや雄島(おじま)の月もよそならんただ伏見江の秋の夕暮れ(秀吉)、曇るとも照るとも同じ秋の夜の其の名は四方にさらしなの月(政宗)
秀吉は城下の美月詠みたくてまず呼びだせりさらしなの名を
伏見江の月を秀吉政宗にさらしなやの歌唱えつつ見す
晩年の政宗詠みしさらしなの月まなうらに胸はる太閤
千曲川月の都のまなかゆき白き流れをいっそうみがく
千曲川ゆったり曲がる北信へはこべり月の都のひかり
古峠
目の前に広ごる見たる都人「ここがさらしな」古峠にたち
土地の名をよべば清しき躍動のしなのの国のさらしなの里
春さがし山
早春はどうのやまにて春さがす遠足のあり更級保育
さらしなの友の会誌にのせるべく園児とともにどうのやま訪ふ
どうのやま入(い)るには沢を渡らねば丸太の橋のむこうに園長
手を伸べてむかうる丸太の橋のうえ信頼という情操教育
どうのやま里山として秋なれば落ち葉あつめき児童のわれは
どうのやま長じて堂と書くをしるどんぐりひろいの記憶かなしき
丸太橋渡しし人の息子なる公人さんつぐ春さがし山
伝説の教師
思春期のわれらに差しだし叫びおり「いーろりったあい」と美術教師は
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地元なる美術館にて回顧展あれば集まる伝説かずかず
兵隊に召されしときの自画像が買えるのならば買いたかりけり
さらしなの湯
特急の停まりし戸倉のホームには大書歓迎さらしなの湯と
上山田温泉境に更級の郡(こおり)にあるを誇りし宿あり
境向こうむかし更級村なりし 合併により埴科郡(ごおり)
右なるは埴科左は更級の郡と彫りし石碑(いしぶみ)いずこ
花も月も二都への迷い埋づもれる信濃分去れ熾火のごとく
千年に一度の地震(ない)に浮き沈むその関係にある更級埴科
千年に一度の地震のしわざにて月の都という今があり
千年に一度の地震の直近は1847善光寺地震
千曲市の魅力アップにさらしなを使わずにいるもったいなさ
棚田よしさらに深掘りさらしなでいってみないか初めの日本
合併は地名遺産を生みだしてわれ始めたり更級への旅
来し方を物語らんと平安のおみな使ひし更級の地名
訪ひしことなき更級が浮かびきておみなの日記文学となる
記載なき更級こそが題名とおみな現代作家のごとし
千曲どんぶり
すずめ焼き母が注文われがゆき豊味(とよあじ)食堂おくに厨房
開かれしすずめのごとく割きし鮒(ふな)揚げて甘から醤油につけて
豊味のおじさん千曲川にとり品書きつくると媼言いけり
鯉(こい)肉のうすき切り身のフライありさくさく食めばほの苦みせり
好物は千曲どんぶり鯉(こい)のフライ卵でとじて青豆のせて
上がり口に置かるどんぶりカキンとう音色ののちの放たるかおり
往生寺坂
千年のかわりめにわれ故郷に家族でふにん往生寺にすむ
善光(よしみつ)の寺のうえの地往生寺りんご畑をのぼれば御寺が
日々くだりのぼるを二年続けたり天界ごとき坂の上のわれ
店先にコロッケ吾子と買いにいく手つなぎくだる往生寺坂
熱々のコロッケほおばり吾子たちとのぼりし夕の往生寺坂
力ある人の助けを借りながら力ある地名つかわわぬ不思議
土地の名がブランドであるそれつまり強力地名ちいき起こしの
1月3日
月露霜(つきつゆしも)しぐれも雪にとさらしなを白く詠む歌 佐良志奈神社に
さらしなを白く遊べる都人の歌碑あり誕生 更級村は
都人楽しからんや下句にてさらしさらせるさらしなと詠み
さらしなとはにしな一つのまちになりしなのの国のハートをなせる
2021年元日
さらしなにひと峯冠着ふた峯の鏡台さらに三峯山あり
さらしなにおはつせ黒彦しらすけの都の三貴種ゆかりの名のあり
12月31日
聞き分けのなきわれ倉庫に入れられて天照(あまてらす)なる岩屋をしらず
君島のおばさんとびら開けくれし天手力男神(あめのたじからおのかみ)なりき
君島さんののり巻きうましお産する妻にかわりて長女につくる
たまご焼きかんぴょうを煮て米を敷きすのこ戻せばいのちの温もり
12月30日 旧更級村の入口にあった大谷商店。閉店して10年
歳末の店番たのし強火力ストーブのまど炎おどれり
餅のせばみんなの視線そそがれてまずはわれ食む砂糖醤油に
店先に積みあぐみかんの白き箱ふるふる雪にだいだいまぶし
閉店に母はおくる「バス停の店」とう歌をわれの友より
意味などは考えぬ名が詠まれればその優美さよ万葉橋の
さらしなには沢を渡ってのぼる堂の山という里山がある
堂の山の芽吹きのにぎわい幼らが春をさがしに丸太わたれば
大谷の正平さんが架けくれし丸太橋にて森にしたしみ
ほめるコツ「さすが」「すごいね」「すばらしい」3Sと聞きさらしな加う
12月21日
歌ありてできあがりたり物語ぎゃくもまたあり更級日記
菅原の孝標むすめ歌つくり物語りして歌またつくり
さきなるは卵なりしか鳥なるかわからぬように更級日記
二十年消えずにいたり更級の日記にこめし埋もれ火もやす
2020年は更級日記作者が少女期を過ごした上総国(千葉県市原市)を旅立って千年。地元ではさまざまな「千年紀」事業
旅立たれ千年たちし上総国いまもうたえり更級の名を
上総国の国分寺へとつながれる駅よりの道「更級通り」
更級の日記作者の育ちしをほこれる町のそば屋「更科」
「さらしな」とひらがな大書の白木板ちゅうぼうの上に掲げられけり
カレー南蛮たのみ構想あたためる月の都のさらしなの里
千曲市出身の日本美術院同人、日本画家の倉島重友さんの新作を見て
実りとは輝きである七年のときもみのれる「豊穣の棚田」
土地の名は戦略である合併を活用したり更級村長
さらしなは心のキャンバスそれぞれが色をのせたり描いてみたり
川沿いの店
わが生まれ育ち四十年(よそとせ)離れしもかまえは今も大谷商店
川沿いにはじめて出たる店なればわが遊び場の田畑用水
渡したる橋のしたなるくらがりは魚とう生き物たちのたまり場
店構えそのいっかくに停留所つくればボックスと呼ばれたりけり
田舎なる百貨の店も半世紀へれば役割不要となりにけり
芝原の洋一さんはバス停の店とう歌を母にくれにき
消滅す更級村の入り口にありたるからにさらしな堂と
店内の廃棄終われど大谷の大の字ボードは捨てられぬ
ビューライン
千曲川西堤防を走るわれさらしな一望ビューラインなり
さらしなのビューラインだと繰り返しいつかみんなで「さらビューライン」
水の出し更級村の入口に最初なる店わが育ちたり
それなりの事業家なりしじいさんがわれの生家を商店とせり
にぎわいの築地の商い手伝いす村上女子(おなご)吾の母となる
吾の父は祖父の家にて産したる乾麺つくる主を受けつぐ
父つくるそばの香りよ添加物なくしてカビのはえることあり
大臣賞もらいて父はふだんごと「更科そば」をつくりていたり
松代藩の財政関与の大幸を祖父はたよりて浜にいきしと
合併で消滅したる更級の村の役所にわれいちど行く
たいこう
松代の騒動起こす元凶とされし大幸ふるさと踏めぬ
たいこうと呼ばれし人はのちに知るわれと同姓大谷幸蔵
同姓であれば余計に知りたくて墓所なる古碑を手がかりにせり
焼き討ちにあいて畑のままなるに更級中学けんせつされたり
校庭の一角大き碑のありてわれの遊び場上り下りして
明治なる戦略産業養蚕は大幸浜にて大商いす
蚕界の偉人と吉田が揮毫せし戦後に大幸本になりたり
帰られぬ大幸のあと我たどり横浜仙台たずねたりけり
末裔は大幸のこと知りたいとわれ渡したり「蚕界偉人」
冠着十三仏(かむりきじゅうさんぶつ)
峯を落つ大岩ほとけに見たてたる修験者おりし冠着坊城(ぼうじょう)
明治なるふもとの村の地図の上に十三仏あり里びと復す
十三の仏は死者を浄土へとみちびく仏さま順じゅんに
冠着の峯ちかくより里に下る寺の住しょく仏名をあたう
十三の大岩不動釈迦文殊普賢に地蔵弥勒に薬師
さらなるは観音勢至阿弥陀如来阿閃(あしゅく)に大日虚空蔵菩薩
平(たいら)
善光(よしみつ)の寺の平の南端の冠着にある坊城平(ぼうじょうだいら)
峯あおぐ修験(しゅげん)の坊が立ち並び下ればそこに扇平が
戦後なる復興たくし里人は扇の名えて歴史たがやす
万代(よろずよ)にしげる万の言の葉の一葉われはさらしなに在り
児を抱(いだ)く姿の岩と見あぐるに打たれて刺さる太き大釘
うづらもち
川原がすみかでありしうづらたち宮を飾りて災いふせぐ
もち食めばさらさらすべすべ身もこころ詣でしときはうづらやの茶屋
ナウマンゾウ歩みし道なり千曲川月の都の地盤をかたむ
御麓(みふもと)と書く山里に日はしずみ久露と書くたき黒滝となる
中秋
日本の遺産となりてさらしなの月はればれと舞台にあがる
日本の遺産となれるさらしなの月おくゆかし見えては隠る
9月21日
夜の棚だ月影吸いてま黒闇ここにおわせり大日如来
平和橋
平和橋 映画「ビルマの竪琴」に DVDをアマゾンにかう
木橋の平和橋なり川むこうの高校通い路車輪のひびき
両岸は田畑のみなり西先のお八幡(はちまん)さんへの道なりし
僧えんず中井貴一の光背としてそびえたり冠着山は
ふたたびの戦争のなき願いこめ名づけられしといまに知りたり
日本遺産
二度目なる東京五輪のはずの年千曲市認定「日本遺産」と
認定のタイトル「月の都」なりその名は千曲さらしなでなし
おぎなえぬ戦略しっぱい戦術で先達われにあうなり言いき
千曲という市名を照らすはずなのになぜさらしなを使わぬかしこく
さらしなは戦略であるしばらくは月の都を戦術とする
二〇二〇
首都の五輪にどめのはずの二〇二〇 月の都は日本遺産に
大きなる望月二つ照らす年 月の都は輝きませり
冠着例大祭(7月28日)
いただきに一夜籠もりて冠着の精霊にあうさらしなびとは
7月26日
たっぷりとゆったり曲がるちくまがわ冠着峰にホタルとながむ