さらしなの歌

 野の景色など、さらしなの里の魅力を短歌にしています。随時掲載。(2022年冬から23年春にかけて作った歌を編集して、フォト歌集「ひかりのキャンバス」を発行

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海辺より帰り川原に立つわれの鼻孔に残るう潮のかおり

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なわ上りぶら下ぐのみのわがからだ一年ののち乗り物となる
かいなのみの力にあらず全身の引き締まりにてぐいぐい上昇
のぼり詰め見えしは景色畳へと降りる自己への肯定感と
さらしなは石垣であるほどけない月の都は石ひとつなり
月の都みなが唱えばおのずからさらしなが照るさらしな照らす

麦畑(むぎはた)の畔を払えばこんがりと焼き上がりおり厚切りトースト

眺めてるうちにすがしくなる雲は冠着の上(え)に長居をしてる

眺めてるうちにすがしくなる雲は冠着の上(え)に長居をしてる

記念碑は白き光りを一面にあびて黒ぐろその意思示す

姨捨の棚田をのぼる子どもらのさえずり風が二千にわたす

蓄えし時間が身体(からだ)空穂氏の晩年詠の生まれし身体

就職に実篤の詩を読みし吾(あ)が「この道より」の書に遭う定年

白米のまろみうまみを予祝するごとく水張る姨捨棚田
植うるるを待つ尾根筋の水張田この景色こそ姨捨棚田

お長谷(おはつせ)の媼いいけり冠着のてっぺん指して「神のおわす」と

五加戸倉それぞれの村と合併し戸倉町となる更級村は
戸倉町は隣接市町と合併し千曲市となり信濃のハート
千曲市の半分はもと更級郡 信濃の心臓三段論法で
さらしなは科野より「しな」いただいて土地の意思をし閉じ込めており
埴科郡を頂く坂城いつまでも科野の末裔絶ゆ兆しなし
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たいこう
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末裔は大幸のこと知りたいとわれ渡したり「蚕界偉人」

冠着十三仏(かむりきじゅうさんぶつ)
峯を落つ大岩ほとけに見たてたる修験者おりし冠着坊城(ぼうじょう)

明治なるふもとの村の地図の上に十三仏あり里びと復す

十三の仏は死者を浄土へとみちびく仏さま順じゅんに

冠着の峯ちかくより里に下る寺の住しょく仏名をあたう

十三の大岩不動釈迦文殊普賢に地蔵弥勒に薬師

さらなるは観音勢至阿弥陀如来阿閃(あしゅく)に大日虚空蔵菩薩

平(たいら)
善光(よしみつ)の寺の平の南端の冠着にある坊城平(ぼうじょうだいら)

峯あおぐ修験(しゅげん)の坊が立ち並び下ればそこに扇平が

戦後なる復興たくし里人は扇の名えて歴史たがやす

万代(よろずよ)にしげる万の言の葉の一葉われはさらしなに在り

児を抱(いだ)く姿の岩と見あぐるに打たれて刺さる太き大釘

うづらもち
川原がすみかでありしうづらたち宮を飾りて災いふせぐ

もち食めばさらさらすべすべ身もこころ詣でしときはうづらやの茶屋

ナウマンゾウ歩みし道なり千曲川月の都の地盤をかたむ

御麓(みふもと)と書く山里に日はしずみ久露と書くたき黒滝となる

中秋
日本の遺産となりてさらしなの月はればれと舞台にあがる 

日本の遺産となれるさらしなの月おくゆかし見えては隠る

9月21日
夜の棚だ月影吸いてま黒闇ここにおわせり大日如来

平和橋
平和橋 映画「ビルマの竪琴」に DVDをアマゾンにかう

木橋の平和橋なり川むこうの高校通い路車輪のひびき

両岸は田畑のみなり西先のお八幡(はちまん)さんへの道なりし

僧えんず中井貴一の光背としてそびえたり冠着山は

ふたたびの戦争のなき願いこめ名づけられしといまに知りたり

日本遺産
二度目なる東京五輪のはずの年千曲市認定「日本遺産」と

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二〇二〇
首都の五輪にどめのはずの二〇二〇 月の都は日本遺産に

大きなる望月二つ照らす年 月の都は輝きませり 

冠着例大祭(7月28日)
いただきに一夜籠もりて冠着の精霊にあうさらしなびとは

7月26日
たっぷりとゆったり曲がるちくまがわ冠着峰にホタルとながむ