文化部の記者時代、映画を3年担当したことがあります。有名な監督や俳優が亡くなったときは大きな事件や事故と同じように、翌日の紙面を埋めるたくさんの記事を作るのですが、その一つに、亡くなった人の実績を振り返る「追悼」記事があり、多くは映画評論家に執筆を依頼しました。
ことし(2022年)3月、91歳で亡くなった佐藤忠男さん(元日本映画大学学長)にも、いくども書いてもらいました。佐藤さんはいつも、こちらが求める締め切り時間に応じてくださり、亡くなった映画人の仕事を見事に書き切る原稿を送ってくれました。佐藤さんの原稿は手書きで、それをパソコンに打ちこむのですが、打ち込みながら「なるほど、そういうことだったのか」とよくうなっていました。
新作の試写会が終わって喫茶店でご一緒したとき、佐藤さんに「どうしていつも短い時間で完全原稿が書けるのですか」と質問したことがあります。佐藤さんは「書きつくして来たからね」とおっしゃいました。「日本映画史」という大著をはじめ、佐藤さんは映画草創期以来の作品はもちろん、名を残す映画監督や俳優、カメラマンといった映画人に言及する膨大な文章をお書きになり、本になさっていました。「どんな映画人のことでも、求められれば大抵のことはすぐ書ける」。にやっとした佐藤さんの若々しく誇らしげな笑顔がいまも浮かびます。
佐藤さんの頭の中では、世界の映画と映画人の相関図が出来上がっており、執筆依頼があった人物や作品はその相関図の中のここにあるとピンポイントで見つけ、ひろい上げることができる。そんなふうにイメージしました。佐藤さんの追悼記事は、映画の歴史だけでなく社会情勢も視野に入れた縦軸と横軸の中で、亡くなった人やその人の作品を評価する感じがしました。たくさん、いろいろな角度から、かつ掘り下げて書いてきたからこそなせる技だったと思います。