昨年(2023年)の春と秋、それぞれ母と父が他界しました。盆栽など樹木が好きだった父と、花が好きだった母が、一緒に作った庭の手直しを1年かけてやってきました。
盆栽は枝や葉が乱れ始めており、台無しになのる前に業者に引き取ってもらいました。松類の植木は手入れが大変なので、思い切って伐根しました。
母の一周忌の春が来て驚きました。庭の隅あちこちに小草が現れ、色とりどりの花を咲かせたのです。母は花の鉢植えを自慢し、わたしも「写真に撮って」とよく頼まれましたが、父は樹木の方が好きだったので、母は木々の隙間を選んで植えていたのだと思います。名前はいまだに分からないものがあります。
2人の形見として2本の比較的大きな木を残しました。一本は、何十回目かの結婚記念日に植えた椿(つばき)。春になると、それはたくさんのピンク色の花弁をつけます。
もう一本は、紅枝垂れもみじ(べにしだれもみじ)。それほどうまいとは思わなかった父にしては剪定が見事で、枝がらせん状に巻き上がっています。家の玄関先にあり、自分流に剪定を追加しました。「盆栽みたいだな」と褒めてくれる知り合いがいました。この秋は、真っ赤な「出迎えもみじ」となって訪ねて来た人とわたしを楽しませてくれました。
手直しが進むと、庭には空いたスペースがたくさんできました。隅にあった母の小草やハギなど密植気味だった小柄な木花を、ひろびろとしたところに出してやりました。もともと山の土を入れたので、草がほとんど生えませんでしたが、日あたりがよくなって草掻きが欠かせなくなりました。一方で玄関に至る石畳の周りにあるだけだった芝は、植木が占めていたスペースに進出し、庭全体が明るくなりました。
わたしは2021年、東京の勤め先の通信社を定年退社し、母が半世紀切り盛りして十数年前に閉じた店を改装。前職新聞記者の経験を活かして作文支援業を始めました。店舗は自宅の敷地の一角にあるので、庭仕事は合間にできます。庭だけでなく、畑も自分本位だった父の気持ちが分かります。自分の作品にはこだわりがあるのです。
菩提寺の助言もあり、母父の一周忌と父の新盆の法要をこの7月、一緒に行いました。首都圏で働く2人の娘もやってきて、庭のアマガエルが飲めるようにとペットボトルの小さなふたに水を入れ、母の小草の隣りに置いていたのにも驚きました。
玄関先で、父が作った木の椅子に座って眺めていると、近所の人が立ち寄り、「お父さんもそうだった」と声をかけてくれることがあります。自分に残された、限りある時間に思いが至ります。
大谷善邦