6月に発行したさらしな堂のフォト短歌集「ひかりのキャンバス」に、励みになる反響をいただいています。地元の美術館「アートまちかど」(長野県千曲市)では、「詠み人が感動したシーンを自ら撮影しその画像とともに歌を載せているところに素晴らしさがある。多くの人に歌集が届き、読者の心が清々しく晴れ渡ることを願いたい」(布谷学芸員)と、販売してもらえるようになりました。地域の方もお求めにおいでになります。「四季折々の景色がいくつも載っていて、見て読んで楽しめる写真集」といった言葉もいただいています。
 所属する短歌結社「コスモス短歌会」の長野県支部の方々に謹呈しました。いくつもの感想をいただいています。駒ケ根市在住の山田宗夫さんは、「信州コスモス」という支部短歌誌に紹介文を載せてくださいました。あいまいだった歌集制作の意図や思いが言葉になっており、多くを学びました。
 この9月に急逝された、「月の都」のはじまりの歌「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」読み解き第一者の竹内整一さんは、「表現することによって慰められる」ということをおっしゃっていました。思いは、表現しないことには相手に届かない、届けるには伝わる表現にする必要がある―竹内さんの言葉を、さらしな堂流に受け止め、作文支援業を続けています。
 拙著を紹介してくださった山田宗夫さんの文章を、山田さんのお許しを得て、ここに掲載しました。掲載歌の中から三つを選び出し、さらしな里の景色の魅力に加え、フォト歌集を自主制作・出版した思いまで書いてくださっています。「こういうことだったんだなあ」と思いました。山田さんは、以前の拙歌「郡として消滅新たな市名にも選ばれずなり敗者さらしな」についての評を書いていただいた方です。https://sarashinado.com/plus/2022/03/18/kokorogake31/ 

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紹介「ひかりのキャンバス」 山田 宗夫                                             

 会員の千曲市の大谷善邦さんがフォト歌集「ひかりのキャンバス」を出版されたので、ご紹介したい。
 「フォト歌集」の意図とは何だろう、その良さとはどういうことだろう、と考えながら御集の写真を眺め歌を口遊みつつ読み進めて、次のフォト短歌に出会った。

 山越しの巨神鉄人28号を見つけて始まるひと日

 夜明けの東の山際の朝焼けに輝く雲が、かの「鉄人28号」の形をして空を駆け渡っていくのだ。独特の画風の横山光輝の連載漫画、正義のロボット「鉄人28号」に心踊らされた世代には、雰囲気のよく似た雲を見つけたその感動が、今日の良き日の始まりの予感につながった。「フォト短歌」とは、このような写真に捉えた一瞬の輝きを、さらに歌として深いカラーに定着・焼付をするところに眼目があるのだろうと気付かせてくれた一ページだった。作者大谷さんのあとがきに「野の景色の中にいて、いいなあと思った風景をスマホで写真に撮り、なぜいいなと思ったのか、その景色の魅力を多くの人に伝えたと作った短歌」とある。写真も短歌もそれぞれ独立した芸術なのだが、フォトと短歌による相乗的な効果を狙った新しい形の感動が模索されている。

 降りぶりを恐るる世なり巨人さえ踵(きびす)をかえす千曲(ちくま)の堤(つつみ)

 千曲川の堤上にそれはそれは大きな水溜まりが三つ見える。そこまで来た巨人も激しい風雨に前進を阻まれて、足跡のみ残し引き返したのだと作者大谷さんは物語を編んだ。今夏も日本中で洪水での被災が相継いでいる。先年には千曲川の氾濫もあった。そういう社会的な視点も込めながら、見過ごされそうな何気ない風景がフォトと独創的な歌とによって鋭く切りとられた。

 切り口は窓外にあり茶とともにたしなむ虎屋の新更科を

 大谷さんは姨捨山の元に広がるふるさと更科の地の魅力をいろいろな形で発信する活動をしている。古来、姨捨山の月は和歌に愛唱され、棚田に映る田毎の月もまた人々の心に深く刻まれてきた。虎屋の羊羹に中秋の名月の頃ひと月ばかり発売される「新更科」がある。どこを切っても漉餡の山影とその上に浮かぶ白餡の丸い月が浮かび出る。それを家の窓の向こうに見える月に見立てた。ここにも愛すべき姨捨の月があると、機知に富んだ一首。大谷さんの想像力、創造力は尽きない。

 以上三つのフォト短歌のみだが、大谷さんが更科にこだわって、一見日常でしかありえないような風景のなかにこそ更科があり、その表現としてフォト短歌があるのだという気概が感じられる御集である。フォト短歌の魅力はなかなか深い。(「令和5年錦秋号信州コスモス」より)