「文章は書き出しが重要だ」と、学校に通っていたころ「文章読本」とよばれるものに書いてありました。この言葉はプレッシャーになり、作文から遠ざかりましたが、新聞記者になって、仕事で文章を書かざるを得なくなりました。「書き出し」というのはとにかく書き始めることからしか定まらないと、振り返って思います。
川端康成さんのあの有名な「雪国」の冒頭の一文だって、最初から書けたかどうかわかりません。「雪国」の世界を言葉で、物語で表現したいという強い思いがあったのは間違いなく、書き出しをいろいろしているうちにあの一文に定まったのかもしれません。いや書けたのかもしれませんが、大事なのは伝えたい世界を表現するために、川端さんはとにかく書き始めたということです。
書き出しの大事さというのは最終的に大事だったとなればいいことです。書き出して、しばらくすると、どうも伝えたいところに到達しないとか、先に書き進めないとなることがあると思います。それは、書き出し方がまずいのかもしれません。しばらく筆を置き、時間がたってからまた違う書き出しで書き始めてみる。途中で進めなくなると、もう書けないとあきらめたくなりますが、最後まで書き通すことが必要な状況に身を置くことが大事です。生涯学習の一つの分野に作文、文章講座というものがあります。そういう場も、最後まで書き通すチャンスだと思います。