精魂込めて書いた文章が書き直されるのは屈辱に感じます。新聞記事は分かりやすさ、不特定多数の読者に伝わることが重要なので、直された方がいい記事になると思っていましたが、エッセイのような書く人の人柄が出る文章はそんなに単純ではありません。
絵本作家、まんが家のすずき大和さんと「まんが 松尾芭蕉の更科紀行」を出版するときのことです。著者のすずきさんに「あとがき」を書いてほしいとお願いしたのですが、なかなか書いてもらえず、わたしが代わりに書いてお見せしました。すずきさんは、はっきりとは言いませんでしたが、これはだめだと思ったのでしょう。書いてくださいました。すずきさんは、作品はまんがで完結するものだとお考えになっていたようで、大変失礼なことをしてしまいました。
そのとき私が書いた文章は、企画から出版までの一連の経緯を分かりやすくまとめたものでした。すずきさんの文章は、分かりにくいというものではありませんが、すずきさんの人柄が出た文章でした。
「分かりやすさ」と「その人らしさ」の両立が理想ですが、ちょっとわかりづらいけど、その人らしさが出ているという文章もあります。分かりやすすぎるのは、すうっと読み通してしまい、伝わってこないことがあります。「その言葉遣い、そういう言い回しは、この人はしないはずだ」と思う文章を、著名人の出版物でも見かけることがあります。編集者が書いたか、分かりやすくするために手直しをしたか。そう思わせられるときは、ちょっと引きたくなります。
「分かりやすさ」と「伝わりやすさ」は同じではありません。分かりにくいことに理由や事情があることもあるでしょう。無理に分かりやすくするとその人らしさがなくなってしまうので注意しなければなりませんが、その人らしさは自分で書くなど表現するところから現れてくるということも確認しておきたいと思います。