NHKの「BS歴史館」で、松尾芭蕉を「17字で日本を変えた男」として紹介する番組(2014年1月放送)を見ました。芭蕉は江戸時代のスーパー変革者という内容だったのですが、番組に登場した「余白」という言葉を思わずノートにメモしました。さらしなが俳句のメッカになった理由を明らかにするキーワードだと思いました。
シリーズ175で、平安時代の「雪月花」という美意識が、空白を尊ぶ神社の精神性を背景に、「省略」というあえて言わないことによってできる空白世界に美を見る俳句に発展したと書きましたが、「雪月花の美意識」の発展型として、「空白・余白の美意識」と言っていいものだと思います。
心も詠める
番組で紹介された「余白」とは、それまで一人で作っていた57577のリズムの和歌を集団でいくつも作る「連句」を通じて生まれた美意識だそうです。連句は、上の575の句と下の77の句を別々の人が詠んで次々に世界を共有しながら発展させていく文芸。上の句で言い切らず余白を残すからこそ、仲間とともに句を連ねていけるわけです。もともとは笑い(諧謔味)を伴う高度な遊びとして楽しまれたため俳諧と呼ばれるようになりました。
芭蕉はこの遊びの師匠として有名になったのですが、諧謔味だけには満足できず、普段の暮らしの場面や体験をたくさん詠みこみます。それまでの和歌や俳諧で重視されていた平安時代から続く言葉や言葉の使い方の決まり事を取り払い、だれもが心の真実を詠みこめることを示したのが芭蕉の革新性だそうです。上の575の部分は、「最初に示す句」の意味から当時は「発句」と呼ばれていましたが、明治になって「俳句」と呼ばれるようになったそうです。
だれもが味わい、作れる
連句づくりの場で芭蕉が詠んだ代表句として番組は「古池や蛙飛びこむ水のおと」を紹介していました。この句は575の独立した句として有名ですが、番組解説者の俳人長谷川櫂さんはこの句も「下に、つけ句(77の部分)を期待した句」と言っていました。切れ字である「古池や」の「や」がその証拠で、あえて言い切らず余白を残した言い回しにしたということです。
長谷川さんは著書「決定版 1億人の俳句入門」(講談社現代新書」の中で、「や」などの切れ字は「空間的、時間的な『間』を生み出すだけでなく、心理的な『間』を生み出す働きがある」と書いています。長谷川さんが言う「間」は「余白」と言い換えられます。古池句では古池に後に、「に」ではなく「や」を添えることで余白をいくつもつくり出し、それがゆえに読み手は自分の人生経験や思想、感受性を総合させ、それぞれのイメージを立ち上がらせられるようになったと言えます。芭蕉は言葉の余白に宿る美をだれもが味わい、また作ることができると示したと言えるのでないでしょうか。
明治維新を準備
芭蕉が古池句を詠んだのは1686年(貞享3年)。この2年後に当地にやってきます。さらしな姨捨の月を見るためだけの旅です(シリーズ5参照)。余白の美を実践する芭蕉は白や清々しさのイメージの地名と景観に身を浸したくなった可能性があります。さらしなという地名は白色を強烈にイメージさせるので、「さらしな」と唱えた当時の文芸好きの人たちの心の中には、「白いキャンバス(画布)」が現れていたかもしれません。だからあまたの人が自分の世界を描きに当地を訪ねたのかもしれません……。
ところで、、芭蕉が「スーパー変革者」であるという番組の趣旨についてです。575という大変短い文字で暮らしの中の美を表現できる言葉の芸術を提示したことによって日本人の識字率を上げ、また仲間とともに句作することで平等精神を育くみ、明治維新という日本の近代化も準備したと紹介されていました。
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