更旅183号・足利義政の「月の都」

更旅・銀閣samuneiru

  世界遺産でもある京都の銀閣寺は近年の修復作業で、創建した室町幕府8代将軍、足利義政が月を楽しむための趣向を大変凝らしていた建物であることがわかりました。銀箔は創建時からなく、漆を木肌に塗り、全体的に黒く、屋根の下には白土を塗った梁もあったようです。中学の修学旅行以来、約40年ぶりに再訪しました。ちょうど前の池の反射光が黒い木壁に映り、ゆらめいていました。光を受け止め、目に見えるようにするにはとても効果的な装飾であることを実感しました。
 資料を集める中で、義政が寺に奉納した自筆の100の和歌の巻き物があると知り、それを写真撮影してある「日本名跡叢刊・室町・足利義政・百首和歌」(二玄社)を手に入れました。月が好きだった義政だからひょっとしたら「さらしな」を詠みこんでいないか…。ありません。しかし、「月の都」がありました。「帰りくる月の都に秋はまだこころを旅の空のかりがね」(写真左、黄色の部分は金箔)。百首和歌は季節の題をもとに詠んだものです。この歌には「都初雁」という題があるので、「月の都」は必ずしもさらしなのことではなく、秋の月が美しくなった京の都に秋の風物詩である渡り鳥のかりが飛来し、秋が深まりゆく様子をふまえたものでしょう。
 義政は月とかりの姿をみながら何らかの感慨にふけったことがうかがえるのですが、当時は月といえばさらしなが有名でしたから、「さらしなの月」のこともイメージし、なかなか自由にならない身だけに、実際に「月の都のさらしな」を訪ねてみたいものだという気持ちが「月の都」というフレーズに現れているのでは想像しました。(足利義政についてはシリーズ62号でも触れています) 画像をクリックするとPDFが現れ、印刷できます。