老舗和菓子ブランド「虎屋」に「新更科」という名前(菓銘)の羊羹があるのを知りました(左の写真)。虎屋には、切り口に季節の風物をデザインした羊羹がいくつもあり、新更科では山の端から上がった月が大きく描かれています。「月の都さらしな」を踏まえた図案のようです。赤い夜空がきれいでおいしそうです。この菓銘がいつ、どのように付けられたのか知りたくて、虎屋菓子資料室「虎屋文庫」に問い合わせました。研究主幹の今村規子さんが応対してくださり、ここに掲載した全写真をご提供いただき、お話もうかがうことができました―
新更科という菓銘は、安永2年(1773)ごろの古文書に記載があるそうです。作られた年や経緯の詳細な資料は残っていませんが、これより古く「さ羅し奈(さらしな)」という菓銘があったことが分かっています。それが左に掲載した写真で、今から約320年前の元禄8年(1695)、虎屋が制作した菓子絵図帳(見本帳)の中に描かれたものです。黒の方形の中央に白い丸、これは夜空に浮かぶ月の姿でしょう。下に変体仮名で「さ羅し奈」と菓銘があります。
時代が少し新しくなった文政7年(1824)の菓子絵図帳(下の写真の右)では、「新更科」と書かれ、図案と色が現在の商品と似ています。虎屋さんには大正時代に制作した菓子絵図帳もあるというので、今村さんにお願いし見せていただいたところ、ほぼ現在と同じ図案でした。この新更科は元禄時代の「さ羅し奈」を考案し直した図で、「新」を付けて新しい菓子であることを強調したものと虎屋さんでは考えてきたそうです。このように図案を変更したときに「新」を付ける菓銘はよくあり、「和菓子には古今和歌集などの和歌にちなんだ銘が多く、弊社では 新更科も信濃の更科に関連した菓銘であろうと考えてきた」と今村さんはおっしゃいます。
虎屋さんは京都で室町時代に創業し、天皇家のお菓子の御用も務めてきた老舗。取材のお願いをする際に、京都市東山区に残る地名「新更科」(シリーズ49号参照)と関係があるのではと一方的に関連付けることを申し上げました。新更科の図案の山は銀閣寺や清水寺がある東山ではないかと思ったのです。今村さんからは「京都の店であったことから、 京都の地名・新更科からとられた名である可能性もあるかもしれません。 ご教示いただきありがとうござました」との丁重かつお気遣いのあるご連絡をいただきました。
虎屋さんの本社は現在、東京都港区赤坂。これは明治のはじめ、明治天皇の東京遷都にお供して上京したためです。虎屋先代社長の十六代黒川光朝さんは「和菓子は五感の芸術」という言葉を残しました。目に映る和菓子の美しさ(視覚)、口にふくんだおいしさ(味覚)、ほのかな香り(嗅覚)、手で触れ、ようじで切る感覚(触覚)…加えてもう一つ、菓子の名前を耳で聞いて楽しむ「聴覚」がある―という黒川さんの発想がユニークです。「新更科」は中秋のころによく製造販売されるそうです。ということは、中秋、全国ではたくさんの人たちが羊羹でも「さらしな」を口ずさみながら楽しんでいるのです。
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