更旅268号 「さらしな」と「月の都」を一緒に詠んだ藤原定家の自筆歌

 「美しさらしな 月の都千年文化再発見の里づくり」をスローガンに、さらしなルネサンスの活動を始めて10年をこえました。「月の都」は強いフレーズなので、「それ何?」と聞かれたとき答えられるように、古今の和歌(短歌)を通じて調べてきました。歌にはその時代の人の心のうちが反映しているからです。まとめた文章を次のページに載せていますので、ご覧ください。https://www.sarashinado.com/2022/11/12/wakaget/ 今号では数ある「月の都」の歌の中で、最初に「さらしな」と「月の都」をセットにして詠んだ歌についてです。(画像をクリックすると拡大)
 その歌は「はるかなる月の都に契りありて秋の夜明かすさらしなの里」。百人一首を作ったことで知られる鎌倉時代の歌人藤原定家のもので、定家直筆のこの歌が、定家子孫の家に伝わる本を紹介する「冷泉家時雨亭叢書」の第8巻(1993年発行)に載っていることを知り、複写転載(左端)させてもらいました。
 日本の百の名所を題に当時の順徳天皇に詠進するために定家が作った百首の中の一つで、信濃(長野県)からは、さらしなの里が選ばれ、「佐良之奈里」とまず題が書かれています。現代は「之」を「これ」「ゆき」と読む人が多いと思いますが、「し」の変体仮名です。さらしなの里の表記は結句に「佐らしなのさと」とあります。月の都は「月のみやこ」とだれでも分かりやすいです。
 筆で書き留められる和歌は、内容にふさわしい書体が求められていた時代なので、定家の感性がこうした漢字と仮名の並びをもたらしたことになるのですが、「さらしな」を詠むときの定家の心持ちもうかがえる貴重な書体です。定家の書は現代の私たちでも読み取りやすいと思います。日本遺産となった長野県千曲市の「月の都」推進事業も、定家の書体を借用して進めるのもいいではと思いました。
 歌の解釈は研究者でもなかなか難しいようで、それについてもhttps://www.sarashinado.com/2022/11/12/wakaget/で書いていますので、お読みください。
 上の写真は、「はるかなる月の都に契りありて秋の夜明かすさらしなの里」の歌が載っている定家の私家集「拾遺愚草上」の原本で、冒頭の目次部分です。文化庁のサイト「文化遺産オンライン」で公開されているものです。中央下の写真は、「冷泉家時雨亭叢書」第8巻で、当該歌が載っているページの部分です。この叢書ではモノクロ印刷で紹介されています。