更旅266号 都人千年の憧れ「さらしな」の歌碑を“拓本”に

 明治の市町村合併の際、「更級村」と名乗る有力材料となった佐良志奈神社社標の和歌。江戸幕末の京都の歌人柳原則子(やなぎわらのりこ)さんの作で、「月のみか露霜しぐれ雪までにさらしさらせるさらしなの里」というその詠みぶりから、都人が千年にわたって「さらしな」という地名に抱いてきた、すがすがしさと躍動のイメージがよく分かります。(画像をクリックすると拡大し、印刷できます)
 社標に刻まれた和歌の書体は、柳原さんが自らしたためた墨字(写真右下)と全く違います。高さ約240㌢の巨大な石柱の左側面に、29の文字が2行に渡って、大きく流麗に書かれています。上から下まで約170㌢あります。誰の字なのか分かりました。江戸末期から明治にかけて朝廷と新政府で重要な働きをした正親町三条実愛(おうぎまちさんじょうさねなる)さんです。社標右側面には、松代藩士佐久間象山の書で社標ができた経緯(由緒)が漢文で刻まれており、実愛さんが歌の字を書いたと読み解けるのです(左下の翻刻傍線)。実愛さんの詠んだ別の歌の短冊の書体にも、特徴の似ている字があり、特に「雪」のくずしがそっくりです。
 和歌の書の主を突き止めるのにお世話になったのが、象山の書の企画展を行った長野県立歴史館学芸員の林誠さんです。象山の由緒の書体も、企画展のために林さんが採拓。図録にも掲載(写真左中央)になった関係で、由緒の解読にもご協力いただきました。
 中央が、実愛さんの筆による社標和歌の書体です。実物は見上げるほど高く、光りの加減がよくないと見えづらいです。以前に撮っておいた写真の色味などを調整したところ、書体が拓本のように見えるようになりました。林さんは2行目の下句「さらしさらせるさらしなの里」で、「さ」の書体を書き分けているところに、かな書道への精通の深さを指摘します。
 実愛さんと佐良志奈神社の関係は本シリーズ3号28号、柳原則子さんについては247号をご覧ください。