さらしなの里友の会だより50号をアップ!

50号は、150周年を迎えた地元の更級小学校のほか、縄文まつりの担い手の継承、国宝になった「更級日記」の見学ツアーなどが載っています。エッセイをリレー形式で書いてもらう「里麗エッセイ」も初めて、若い世代でバトンが受け継がれました。画像をクリックすると、ダウンロードできます。

更級小学校150周年おめでとう!

 令和5年度、本校は開校150周年を迎えました。さまざまな周年記念行事を通して、本校が地域の皆様にとって大切な存在であることを改めて感じました。
 本校は1873年6月7日に生まれました。当時の更級地区には3つの村があり、1つの学校を作りましたが、最初は校舎がなかったため、わらぶきの農家の家を借りて学校にしていたそうです。その後、村の人々の協力で新しい校舎が建てられました。3つの村が合併して更級村が誕生した時は、羽尾尋常小学校という名前になりましたが、学校の名前をどうするかでいろいろもめたそうです。そんなとき、「みんなが昔から大切にしてきた『さらしな』という名前を使えばどうか」という提案があり、学校の名前に「更級」が使われるようになりました。
 令和5年11月には、来賓・地域・保護者の皆様をお招きして記念式典を行いました。吉川忠英さんと棚田バンドによる記念演奏会や、子どもたちのふるさと学習の様子の発表、3年生が育てた150周年記念リンゴの配布などを行い、みんなでお祝いしました。
 さて、更級小学校が誕生した150年前より少し前に亡くなった吉田松陰という教育者が、「至誠を貫く」という有名な言葉を残しました。これは、「私たちが今できること・やらなければならないことに手を抜かず、一生懸命本気でがんばれば、いつかきっと自分の役割がわかる」という意味です。子どもたちにはぜひ毎日いろんなことに全力で取り組み、至誠を貫いていってほしいと思います。そうすることで未来が、きっと明るいものになります。子どもたちの未来のため、今まで以上に地域の皆様方のご理解・ご協力を賜りますようお願いいたします。(更級小学校校長・松澤幸嗣)

二号住居を解体・復元

 さらしなの里古代体験パークには、円光房遺跡の発掘調査成果をもとに、柄鏡型の竪穴住居6棟と高床倉庫1棟のほか、墓域、池や小川、森などの居住環境が再現されています。整備から30年以上が経過し、痛みが目立つようになってきました。
 そこで、最も痛みの激しかった二号住居(南東隅)を解体し、新たに建て直す工事を行いました。屋根に葺いたカヤ材は、昨年11月に、友の会会員の金井宗夫さん、北村力男さん、市教育委員会職員の協力を得ながら、長野市の戸隠スキー場へ行って刈り取ってきたものです。(さらしなの里歴史資料館)

市民に伝える文化財講座

 令和4年に策定された「千曲市文化財保存活用地域計画」には、「市民に文化財をつたえる」という方針が掲げられており、千曲市の文化や歴史を知ってもらおうと、同年から、市の学芸員と外部講師による歴史講座を、さらしなの里歴史資料館で開催しています。
 令和5年度は、10月から3月まで、6回開催しました。第1回は、明治大学黒耀石研究センターの堤隆客員研究員に、故森嶋稔先生が研究していた旧石器時代ついてお話しいただきました。第4回は「智識寺の地蔵像から探る江戸時代のお地蔵様ブーム」と題して、飯綱町いいづな歴史ふれあい館の小山丈夫学芸員に、第5回は、長野県立歴史館の水沢教子学芸員に「縄文時代のサケ漁とその利用」をテーマにそれぞれ話していただきました。
 受講者からは、講師も困惑してしまうような質問もあったりして、みなさん熱心に耳を傾けています。令和6年度も継続して開催予定です。(千曲市歴史文化財センター寺島孝典)

里麗エッセイ 上京、コロナ禍を経て 羽尾4区出身 矢島愛永

 私は大学で、体育会硬式テニス部に入りました。高校までは軟式テニス部だったため、軟式と硬式の違いに慣れず苦戦をしながらも、一生懸命練習に励みました。仲間と汗水流した貴重な大学生活は大切な思い出です。同時に、学生の時にしか出来ないことをやりたいと思い、中学からの幼なじみと「日本一周」の計画を立てました。
 北は北海道、南は沖縄まで47都道府県どんなルートで行くかを考え、複数回に分けて各地を訪れました。この「日本一周」の経験から実際に現地に行ってみなければ分からない人やモノとの出会いを強く実感し、今度は自分がそんな出会いのある旅行を多くの人に届けたいと思い、旅行業界を志望し、2019年4月に株式会社JTBに入社しました。
 初めての社会人生活は毎日緊張しながら、慣れない端末操作や混み合う店内のお客様対応に毎日精一杯でした。やっと1人でお客様に国内旅行の販売ができるようになり、海外旅行の手配に移ろうとした矢先の2020年1月に新型コロナウイルスが蔓延し始めました。そこから海外旅行は渡航禁止になり、国内も緊急事態宣言の発令により来客数及び予約数も激減し、自身の出社自体も制限がかかるようになりました。
 その後、GOT0トラベルをはじめとする国の施策により一時的に旅行業界も立て直しはしましたが、自身の理想である旅行業界での働き方とは程遠く、元々やりたかった営業職にチャレンジすることにしました。
 2021年年4月、人材派遣の株式会社リクルートスタッフィングに入社し、この4月から4年目となります。私は金融業界を担当しており、毎月求職者である派遣スタッフさんにお仕事を紹介し、就業中のフォローをしています。最近は後輩もたくさん入ってきて、指導をする立場になってきましたが、これからも精進していきたいと思います。

「友の会」「縄文まつり」の灯は消さない 一緒に活動しましょう

 さらしなの里「友の会」だよりは、平成11(1999)年の秋に第1号が発刊され、初代会長の大谷秀志さんは創刊の辞で「友の会は縄文まつりをはじめ、数々の地域の伝統と文化を継承発展させていくことを楽しむボランティアの集まりだ」と述べています。
 秀志さんは、平安時代の古今和歌集で「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」と詠まれた冠着山を仰ぎ見ながら、古代体験パークで行う縄文まつりは、「さらしなの里」を心豊かな里として発展させるものだという思いが強い人でした。
 その思いが会員に伝わり、夫婦・子どもでまつりを支える会員も数多く、盛大なまつりとなり、第14回からは、更級小学校が地域学習の一環として全校で参加し、第15回を記念して「里と人にいやされる・さらしな 縄文からのメッセージ」を出版。それぞれの係長さんを中心に、常に原点を見据え、まつりは年ごとに盛り上がっていきました。
 改元となった令和元年は第27回を実施したものの、新元号の典拠である万葉集の一文「初春の令月にして気淑く風和らぎ…」という願いは試練に見舞われました。新型コロナウイルスが最悪のパンデミックとなり、各地域のまつりをはじめ、地域の活動が停滞し、縄文まつりも中止せざるを得なくなりました。
 令和3年からは、協議を重ね、規模を縮小して2年間実施しました。しかし、そのことで会員の役割が減り、同時に高齢化に伴い、体力の限界を感じているのが現在の幹部会員の現状です。
 本年の役員会でも議論が交わされました。そこでは友の会の中心である縄文まつりは、前年同様の規模で第30回記念として、更級小学校と共に精いっぱい努力をしようと結論づけました。
 同時に今後の友の会の運営については、幹部であらゆる手段を講じて、「さらしなの里友の会」、そして中心事業の「縄文まつり」の灯を消さない努力をしようと誓い合いました。 地域のみなさん、古代住居も1棟改築されました。会員として、活動しようではありませんか。(さらしなの里友の会会長 豊城 巖)

国宝「更級日記」見学ツアー開催

 友の会だより49号で「国宝になった」とお知らせした藤原定家書写の「更級日記」。天皇家が受け継いできた名品であることから、皇居東御苑の美術館「皇居三の丸尚蔵館」の新築記念で展示されることになっため、3月26日、実物を見学するバスツアーが開催されました。
 栞の故郷推進委員会(馬場條会長)の主催で、参加者は日記題名の里、千曲市更級地区をはじめ長野・佐久両市からも含め95人。入館には予約が必要で30分刻みでそれぞれ60人の制限があっため、11時半と12時の2つのグループに分けて予約しました。しかしこの日はまさかの本降りの雨で到着が遅れ、結果的に95人全員が一度に入館することになり、約1時間、「更級人」が三の丸尚蔵館を〝占拠〟しました。
 国宝「更級日記」はガラスケースの中にページを開いて展示されていました。源氏物語を全文読みたくてしかたがなかった更級日記作者が家の近くのお姫さまから譲り受けたときのことが書いてあるところで、これは源氏物語作者を主人公にしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送中であることも意識した展示でした。
 わたしは表紙に書かれている題名の「更級日記」の文字を見たかったのですが、実物は一つしかないので、それはかないません。実物を写真撮影して10%縮小印刷した影印本(笠間書陰) を持って行って、表紙をケースの外で見てもらったり、本を手にしてもらったりしました。書き写した藤原定家の書体は、流麗で柔らかく「イラスト、絵みたい」と感想を述べる人もいました。   (芝原区・大谷善邦)

美容室で尺八コンサート

 千曲市芝原の金井パリー美容室で3月25日、尺八コンサートが開かれました。地域の人の交流が薄れていることを心配する美容院主の金井ミノリさんと夫の慎吾さんが企画しました。
 コンサートを行ったのは尺八愛好家の堀口鉄久さん(千曲市上徳間)。同美容室に長年通う塚田愛子さん(同市羽尾4区)の義理の息子です。堀口さんは体調を崩したとき、大きな呼吸が必要で健康にいいとされる尺八演奏にのめり込み、いまでは高齢者福祉施設などで数多くのコンサートを開催するほどの腕前です。
 同美容室を利用する地域の方々など約20人が「ここに幸あり」などいくつもの尺八の音色に耳を傾け、歌詞を口遊みました。終演後、金井慎吾さんは「曲を聞くと歌い出さずにはいられない女性たちに感動しました。男もこうあってくれれば」とあいさつしました。
 繊維質が豊富な漬物などみなさんがいろいろなお茶うけを持ち寄り、終演後は会場を作り直してティータイムとおしゃべり。血の巡りがすっかりよくなり、美容室は英語でビューティーサロンと言う理由がよくわかりました。  (大谷善邦)