著名人の心をつかんだ「慰めかねつ」歌②映画にもなった「わが母の記」の母体―小説家の井上靖さん

社会小説「氷壁」や歴史小説「風林火山」など幅広い分野の作品を手掛け、ノーベル文学賞候補にもなった井上靖さん(1907-1991年)に、「姨捨」という短編があります。40代後半、当地の姨捨を訪ねたときの感慨をもとに執筆したエッセイ風の物語です。井上さんは晩年、「群像日本の作家20 井上靖(小学館)」の中で「自分を材料にし、自分の体内を流れているものを正面から見ようとした最初の作品」と書き、過去作品を自選する場合、「姨捨」を外すことはできないと綴るほどで、ひと際思い入れの深い作品であることが分かります。この「姨捨」の執筆がもとになって、後に認知症の母親を看取るまでを描いた「わが母の記」が生まれ、この作品は映画化もされ、2012年のモントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリ賞を受賞しました。

更級への旅15号で、「姨捨」が井上さんのルーツを刺激した作品であると紹介しました。あらためて「姨捨」を読み直したところ、当地が「月の都」となるはじまりの歌「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」について次のような一文があります。井上さんは当地来訪の前に手に入れた姨捨にまつわる和歌や俳句などを紹介する本を読み、この歌に「最も深い感銘を覚えた」と書いています(傍線はさらしな堂が引いています)。

私が夥しい和歌や俳句の中で最も深い感銘を覚えたのは、大和物語の中へ出てくる、母を姨捨山に棄てて家へ帰って来た若者が、母の居る姨捨山の山の端にかかる月を見て詠んだという「我こころなぐさめかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」という歌であった。これは物語の中の人物の詠草であり、歌そのものの巧拙は別にして、単なる観月の歌ではなく、その背後に一つの劇が仕組まれてあるものであった。

 勿論、純粋な和歌の鑑賞からは問題あろうが、いかなる姨捨観月の作品より、私にはこの物語の中の人物が詠んだ歌が切なく心に滲みた。幼時心に刻みつけられた説話の主題が、ここでは歌の形を通して私に迫って来るのであった。

この文章の最後に「幼少時に刻みつけられた説話の主題」とありますが、「姨捨」のほかの部分の記述によると、井上さんは5歳か6歳のころ、姨捨伝説を聞かされ、家族が心配するほど泣き出したことが会ったそうです。そのときは「わが心慰めかねつ」の歌は知らなかったのですが、後半生に入り、「大和物語」の最終盤で親を捨てた若者の嘆きとして登場する、この歌にことさら心を動かされたのです。

この一文を読み解くもう一つのポイントが「歌の背後に一つの劇が仕組まれてある」というくだりです。「姨捨」ではこの解釈をもとに、「姨捨山に捨ててほしい」と懇願する自分の母親と、それに当惑しながらもこたえようとする井上との劇中劇が展開されます。これは想像の世界であって、事実ではありませんが、井上さんが晩年にまとめた「わが母の記」(1975年)では、「歌の背後に仕組まれた一つの劇」が、豊かに心を動かされないわけにはいかない文体の作品に昇華しており、「姨捨」はいわば「わが母の記」の母体のような作品です。映画も両作品のエッセンスを感動的に映像化しています。

井上靖さんが幼少時に聞いた姨捨伝説は、小説家として油が乗ったとき「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」という歌によって、日本のみならず世界の人たちの心を動かす豊かな物語作品になったと言えます。

映画「わが母の記」は、アマゾンのプライムビデオで見ることができます(有料)。

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15号・井上靖のルーツを刺激した「姨捨」