更旅249号で古今和歌集に載る「わがこころ慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月をみて」の和歌によって、さらしなの里は現れる月の美しさが都人をしてあこがれの地にしたと書きました。そのことを確認したうえで当地にとって「姨捨」という言葉が果たした役割についてです。(画像をクリックすると、1枚で印刷できるPDFが現れます)
オバステという音の響きにあらわれているように「バ」の濁音に、放り投げ感のする「ステ」。これだけ聞くと多くの人は暗い悲しいイメージを持ちますが、実はこの暗いイメージの言葉が「慰めかねつ」和歌では、先に登場する「さらしな」という清澄な音色によって浄化され、結果的に姨捨山のあるさらしなの里は神々しさを漂わせることになっていると思います。相反する、矛盾したイメージの言葉の組み合わせによる美、面白さの創造です。
遠方の山と月のセット さらしなが先駆け
すべてをチェックできているわけではありませんが、古今和歌集とそれに先立つ日本最初の歌集の万葉集で、月と山をセットで詠んでいる和歌を調べてみました。結構ありますが、月を都から離れた地の山とセットで詠む歌は、さらしなが先駆けではないかと思います。大半は都とその近辺の山で、万葉集には三笠山(みかさやま)、春日山(かすがやま)、高円山(たかまどやま、以上いずれも奈良市)、二上山(ふたかみやま、奈良県葛城市と大阪府太子町にまたがる)、古今集には佐保山(さほやま、奈良市)、小倉山(おぐらやま、京都市)といった由緒があり名の知られた山が登場します。これらの山は歌を作る人も作られた歌を読む人も、実際に見たり登ったりすることがあったでしょう。
行けないから余計に想像
それに対して信濃国のさらしなの里の姨捨山です。都からは山をいくつも越えていかなければたどり着けないところですから、古今和歌集で「慰めかねつ」和歌を知った人の大半は、さらしなの里のことを想像するしかなく、実際に行ったことがある人が身近にいればその人を通じてさらしなの里の情報を熱心に手に入れようとしたでしょう。行ったことはない、行くこともできないさらしなの里、そこに現れる美しい月、その美しい月が年老いた女性を山に捨てるという名前の山を照らしている…。悲しく残酷なイメージの一方で、さらしなという清浄な響きの地名の里に現れる月ですから、その月の光はほかの地よりも清澄さは極まり、その清澄な月の光が老女を照らし、包み込んでいる…。捨てられた老女の姿を神々しくイメージする都人がいたとして不思議ではありません。
上句と下句の間の効果
「慰めかねつ」和歌の上の句と下の句をつなぐ位置に「や」があることも相反する響きの言葉による美の創造に大きな役割を果たしています。短歌や俳句で使われる切れ字の「や」は、強い嘆きや感動を表現したり、間(ま)をつくり出す役割があります。「慰めかねつ」和歌を読む人の意識の中では、わがこころ慰めかねつさらしなや―でいったん思考にすき間が生まれます。どうにも自分の心は慰められないという気持ちと、さらしなという言葉は意味の上ではなんのつながりもないからです。ここではさらしなはまだ宙ぶらりんの状態。「や」でいったん間が置かれることによってさらしなの響きが醸し出す清澄さが強調されるのです。そして下の句で、慰めきれない事情が明らかにされます。美しい月の光は自分だけでなく、姨捨山の嶺にいる捨てられた老女も照らしているのかという悲しくもある光景が歌の作者には思い浮かび、「姨捨山にてる月をみて」の表現になったともいえます。
美しさと悲しさの相反するイメージが統合され、えもいわれぬ世界を読む人に想像させます。都人にとっては未知の世界。歌をつくる人は想像することが好きですから、それは自分の中でイメージを膨らませたでしょう。内在するこうした美の構造が室町時代には、世阿弥をして謡曲「姨捨」(更旅249号)を作らせたのだと思います。