今から約45年前、中学(戸倉上山田中学校)のときに美術の先生だった飛矢崎真守さんの絵画展が、千曲市の「アートまちかど」で開催(~7月7日)。「伝説」という言葉は、こういう人に使うものだと思う。同じ世代の間では、普段美術館には行かない(と思う)人たちも「見に行く」と話題になっている。
髪はぼさぼさ、授業では野太い声で「いーろりったーい(色立体)」とよく叫んでいたのを覚えている。美術室はがらくたばかりで、怖いが第一印象だったが、たまたまクラスの掃除場所が美術室になっており、授業では見られない優しさ、繊細さを感じた。相変わらず声は大きかった。
ただ、飛矢崎先生がどんな絵を描き、そのがらくたが何だったかほとんど覚えていない。そのことを1年上の女性に話したら、彼女は記憶が鮮明だった。美術室にはスズメの死骸が置いてあり、理由を聞いたら「この死骸の色、色の変化が美しい」。壁に掛けられた錆びたスコップも、同じように人工的には作れない自然の色が美しいということを言っていたそうだ。飛矢崎先生にまつわるいろいろな思い出、たくさんの「説」が語られて、伝えられている。
中学校のときの飛矢崎先生の年は、今の自分とほぼ同じだったこともわかった。画家の大きな集まりからは身を引いて、独自の信念で絵を描き、自分の絵を見てもらう展覧会を開いていた。そのときの気持ちをしたためた手書きの文章も展示されていて、足を止めて読み込んだ。
一番記憶に残ったのは、先生が戦前、応召して入隊する前に描いた「自画像」。画の裏には、教員になったばかりなのに再び教員として戻れるかどうかという趣旨の文章が書かれている。自画像にもその不安と憤り、怒り。
夏に向かう信州の山並みと渓谷の風景画には、晴れやかさ、すがすがしさがあふれている。建て替えで今はなき戸倉上山田中学校のドーム屋根体育館も、美しい姿と色合いで後世に残ることになった。
飛矢崎先生は戸倉上山田中学に定年退職する1985年まで17年間、勤めた。2012年、90歳で逝去。
【追記】拙稿を読んだ1年上の女性から、もう一つエピソードが。「わたしの同級生は先生の事をヒヤコーと呼んで怒られ