富士山のすそ野、山梨県富士河口湖町の河口湖美術館のチラシを見ていたら、姨捨方面から千曲川を描いたのではと思う絵があった。明治から昭和を生きた金山平三という洋画家の企画展(10月28日~12月24日)。「春霞(はるがすみ)」とタイトルがあるだけで、描かれた場所が書かれてない。
展示場は二つに分かれていて一つ目に入ってすぐ引き込まれた。戦前から戦後にかけての風景画がたくさん飾られ、子どもたちがスケートを楽しむ氷と雪の景色がなんとも温かい。タイトルには「諏訪」の地名もいくつかあり、金山さんは信州にもゆかりがある人なのだと分かった。東北の温泉街の橋の上で傘をさす浴衣姿の画には、温泉街の寒さとぬくもりが同時に感じられた。期待を高めながら、二つ目の会場に入る。「春霞」は壁の中央に飾られていた。サイズは61㎝、91㎝(30号M)と大きい。右から斜め下に流れ下る棚田、手前の林、桜、中央に川の流れ、奥の山並み。途切れてしまっているが、山並みの右先には窪んだ鏡台山があるはず。これはさらしなの里だと確信した。
会場を出た後、売店で金山さんの画集を開き、年表を見た。金山さんは1940年の4月、姨捨駅の近くに昔あった旅館「青木屋」に滞在したとある。うれしかった。その理由は逆説的だが、画の中の棚田と山並みの間にある川の景色が現在のものと違うからだった。画では水と思われる水色が左下に向かってかなり広く流れている。この水色は棚田の緑色とは違うし、筆のタッチも水っぽい。現在、この部分は田畑や採石場になっているところだと思う。描かれたのは1940年ごろなので、まだ千曲川の今のような頑強な堤防ができる前の光景なのではないか。確か現在の堤防は戦後、構築されたと戸倉町誌に書いてあった記憶がある。
そう思ったら、この画の価値がさらに上がった。堤防によって千曲川の流れが制御される前は、この画のように水は平地いっぱいに広がって流れることがあったことの証明。雨の降り方や量によって流路は刻々と変わっただろうが、千曲川の流れはこのくらい平地に広がることがあったのだ。堤防のようなものがまだ全く築かれなかった古代、さらしなの里に現れた月が千曲川の水面と照らし合い、里全体を光の空間に染め上げていたはずという想像は妄想ではない。
この画の棚田には若菜も見える。小川沿いに花が咲き始めようとしているかもしれない。春先のさらしなの里のすがすがしさが、におい立つ。(画は茨城県の笠間日動美術館所蔵)