美しさらしな(11) 家康が築いた白亜の天守閣

 白鷺城の異名を持つ姫路城天守閣の改修工事が2015年に終わり、その白の美しさが話題になった。その白さは壁だけでなく屋根瓦をつなぐ素材として白漆喰を使ったためだが、どうしてその白さにこだわったのか調べていたら、実は徳川家康が築いた最初の江戸城の影響を受けている可能性があることを知って驚いた。家康の天守閣も白かったというのだ(江戸城の天守閣は現存せず)。
 このことを知ったのは、姫路市文化国際交流財団発行の季刊誌「BanCul(バンカル)」(2015年夏号)に掲載された、中元孝迪さん(同誌編集長)の文章。姫路城を造った池田輝政は家康の娘を妻に迎えた関係なので、西国の武将たちにみらみをきかせるためにも、家康の意向や発想を汲んでいた可能性を指摘していた。
 ではなぜ、家康は白い天守閣にこだわったのか。はっきりした資料はないらしいが、戦国時代に詳しい歴史学者の小和田哲男さん(静岡大学名誉教授)によると、秀吉が築いた黒い大阪城に対抗した可能性がある。大きな黒い車には威圧感があるように、黒は権威や武力をわかりやすく示す色。これに対して白は崇高さを示すので、家康は秀吉の時代とは違う清新さを遠くからでも見える天守閣の色に採用したのではないかという(以上の小和田さんの考えは、NHK取材班編著「堂々日本史6」から要約)。
 白には平和のイメージもあるので、戦乱の世が終わった新しい時代の意味を家康は天守閣に込めたとも考えられるが、天守閣を中心とする城の構えは実は戦う城でもあった。先日の9月16日、BS-TBSで放送された「消えた江戸城の真実!」では、初代江戸城があったころの絵図によると、天守閣は徹底的な防御施設に取り囲まれたものだったという。豊臣氏を滅ぼす前の築造だったのが理由と考えられ、豊臣氏との最終決戦に備えた戦国時代、最強の城と言っていいという。
 上の横長の写真は、BS-TBS「消えた江戸城の真実!」の中で紹介された、家康が築造した白い天守閣のイメージ図。