「すがすがしさ」を大切にする気持ちは、普段使っている言葉にたくさんある。サ行の響きがある言葉だ。
率直(ソッチョク)、誠実(セイジツ)、洗濯(センタク)、掃除(ソウジ)、清掃(セイソウ)、雪辱(セツジョク)、真摯(シンシ)、再生(サイセイ)、信頼(シンライ)、信用(シンヨウ)…。
熟語だけではない。気がす(澄)む、胸がすく、水に流す、すみません…。「すみません」は、にごっていて澄んでいないこと。使わない日はないくらいだ。清く正しく「澄」んでいることがとても大切であるという意識が、この言葉を作り出したという説が有力だ。
風呂から上がって、歯を磨いて「さっぱり」。髪を洗って、洗濯をして「さらさら」。全部を出し切って「せいせい」。全部を出し切ることは「さらけだす」。純白の真珠(シンジュ)。
インドで生まれた仏教を日本流にアレンジした僧の名前も、最澄(サイチョウ)、空海(クウカイ)。空海はカ行だが、イメージは澄んでいる。戦国時代の人気武将の名前にもサ行が。信玄(シンゲン)、上杉謙信(ウエスギケンシン)、秀吉(ヒデヨシ)、家康(イエヤス)。
丁寧な言い方の最後には「です」「ます」。テレビではニュースなどであふれている。こうした話し言葉の終わりの響きは、外国人にはどのように受け止められているだろうか。
さらしなの里のシンボルである冠着山(姨捨山)のふもとの冬。雪がしんしん(シンシン)と降っているときの静寂(セイジャク)さ。降った後の雪はさらさら(サラサラ)だ。