美しさらしな(1) 始まりは「すごいねえ」

 生まれ育った場所の美しさを初めて自覚したのは20代後半だった。就職先の任地は九州。そこで知り合った人を実家に招いたとき、家の裏手に広がる田畑に「すごい」と声を上げた。
 実家は冠着山(姨捨山)直下の扇状地の先端。かつては大雨が降れば千曲川があふれ一面が水に浸かるところの、かろうじて山よりで、昭和時代の半ばに建てられた。「水が出る」と嫌われたところに最初にできた一軒家だった。裏手、周辺には一面の田畑が広がり、水路が縦横に巡っていた。
 その場所を、その人はさかんに「すごいねえ」とほめた。夏だったので、一面の青い稲穂が広がっていた。そうだよな、確かにすごいよなあ。美しさは発見するものだと知らされたときだった。
 以来、30年。この光景は大規模な圃場整備で田畑がまとめられただけで、農業振興地域に指定され、景観の美しさはそのままだ。
 実家は昭和半ばまで「更級村(さらしなむら)」と呼ばれたところにある。村の名前である「更級」が、古代から都人(みやこびと)のあこがれになっていたことを知って20年近く。その名前が入った「更級郡」は、所属する市町村の合併で2005年に消滅してしまった。
 しかし、更級郡のシンボルであった冠着山(姨捨山)は今も泰然と存在し、その近くには日本の景観財産と国に認められた「姨捨の棚田」もある。更級郡に所属していた千曲市の川西地域を「さらしなの里」と呼んで、さらしなの地名をもっと文化・教育・経済に活用する取り組みを始めた。
 そのときの合い言葉は「美しさらしな」。さらしなに都人があこがれた理由を調べていったら、この地名には日本人の美意識が詰め込まれていることがわかった。都人のあこがれを裏切らない美しい舞台装置があったことが1000年上にわたってあこがれの地になった原点。