昔の新聞記事で「白く細い道 極楽へ」の見出しが目に飛び込んできました。5年前の2011年、東京国立博物館で開かれた「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展で展示された掛け軸「二河白道図(にがびゃくどうず)」の紹介記事(朝日新聞)でした。中央に描かれた白く細い道が、この掛け軸の肝であると記事は書き出しているので、目を凝らして読みました。人間が極楽に到達するときに、「白」色がたいへん象徴的に使われていることが分かり、感動しました。
「二河白道」という言葉、初めて知りました。死後、極楽浄土への往生を願う信仰心を、欲望の水の河と、怒りの火の河にはさまれた細い清らかな道にたとえた言葉だそうです。文字通り、二つの河にはさまれた白い道です。朝日新聞の記事によると、中国・唐時代の7世紀を生きた善導という僧侶の著書にある物語で、日本の浄土宗の開祖、法然が折にふれてこの話を信者に語ったことから広く知られ、鎌倉時代以降、さまざまな構図で絵画になりました。
記事で紹介されているのは、その中でも特に絵画表現がすぐれている、兵庫県・香雪美術館所蔵の「二河白道図」。上が極楽浄土で、現世から極楽往生した人たちが中央縦にのびる白い道を渡りはじめています。右側が欲望の水の河で、左側が怒りの火の河。水の河が欲望に満たされていることを示すため米俵や財宝が描かれ、怒りの火の河には男をねじ伏せて弓を放とうとしている武者がいます。後ろからは極楽往生させまいと武者と猛獣が追い掛けてきます。しかし、白い道を渡った先では阿弥陀如来が待っている…。
このように説明されると、緊迫感があります。極楽浄土の思想を広めたり、苦しんでいる人々を救うためにも、この構図の掛け軸を見せ、話をすることは大変有効だったと考えられます。道は白いだけでなく細く、周りの欲や怒りの色が毒々しいので、白の清浄さが際立ちます。「これが極楽への道の白道(びゃくどう)」と説明されれば、白色に対しての特別感を抱くのは不思議ではありません。白色に対して私たちが抱く清浄感は、こうした絵画によってもより深く定着してきたのだと思います。
香雪美術館の「二河白道図」は鎌倉時代の作。日本人が描いたものだと思いますが、物語の出典は中国です。中国でこの物語がどのような絵画表現になっているのかも興味がわきます。