以下は、千曲市芝原の宮原実雄さんの文章。冠着山尾根筋の堂の山のすそにある阿弥陀堂で、春と秋の彼岸だけ展示される涅槃図と十王図(じゅうおうず)についてお書きになったものです。地域の心の拠り所だったことがよくわかります。写真は十王図の掛軸の意味を確認する芝原区役員のみなさん。左奥に涅槃図(2009年9月23日撮影、さらしなの里友の会だより21号=2009年秋=から)
千曲市芝原区の西の地域に、古くからのお堂がある。雲晴庵阿弥陀堂三福寺(うんせいあん・あみだどう・さんぷくじ)。更級地区で通称、「堂の山」と呼ばれている山の東側の裾にあり、昔から住民に親しまれ信仰のための祭り場であり、心の寄りどころとしての場所でもあった。
このお堂の開基は、いつの時代か確かな記録はないが、天保6年(1835)、今の長野市小田切塩生にある九品山三福寺(くほんざん・さんぷくじ)の住職が、隠居の身となり当地を訪れ、定住したと思われる。お堂に隣接する墓地には、僧籍と思われる墓石が、それより約100年前の宝暦年間から、9基ある。
茅葺きの寺院造りのお堂であった。仏壇には立派な阿弥陀如来像と、寂誉上人(じゃくよしょうにん)の座像と歴代住職の位牌が祀られている。古くから芝原区で管理していたが老朽化が激しくなったので、先の大戦後、改築し、瓦葺きの建物となった。
春と秋の彼岸の中日に涅槃図と十王図の掛軸が展示されます。戦中までは閻魔大王の恐ろしさに肝を冷やし、帰りには、おだんごをいただき心を落ちつけたものでした。
涅槃図は、室町時代の画僧、兆殿司(ちょうでんす)の筆とも伝えられる貴重な掛軸であり、お釈迦さまが入滅のときに、大勢の弟子や生き物たちが悲しんでいる図です。
十王図は生前の行いの善悪を順次審判する様子を描いたもので、人生の戒めとなって現代の社会教育、道徳教育と通じるものであり、青少年や社会人にも広く見ていただきたいと思います。