以下は2007年に亡くなった千曲市羽尾の郷土史家、塚田哲男さんの文章。さらしなの里友の会だより2号=2000年春=から。写真は坊城平の昼寝岩(手前)と児抱岩(左上)。図は冠着山財産区の地図に記された名前のある岩
冠着山は岩の山である。冠着山そのものが大昔、海の中で噴き上がった溶岩(マグマ)が固まったもので、それがじょじょにせり上がり、まわりの土が洗い流されて出来上がった岩の塊である。
その山の所々へ別の岩が押し出されて固まり、いろいろの名前の岩が残されている。
その第一は児抱岩(ぼこだきいわ)。高さ30㍍余りの大岩柱。人が児を抱いているようなので、この名がつけられた。
弘化4(1847)年の地震で、1個、また近年の松代群発地震で1個抜け落ち、昔と姿は変わってしまった。その時に落ちた岩はすぐ下の小平地にあり、百畳敷(ひゃくじょうじき)という大きさだという。仙石口から登った山の神にある岩も児抱岩から転げ落ちたものだ。
この岩と同質なのがすぐ西側の屏風岩(びょうぶいわ)。幅の広い絶壁で、あたかも屏風を立てたように見える。冠着山の頂はちょうどこの岩の上にのっかっている帽子のように見える。
坊城平に散在する岩にも昼寝岩をはじめいろいろな名前があったらしい。ある古老は「時計岩の下でひんねして帰って来た」と言っていた。それがどの岩か。なぜそうした呼び名になったのか。このほか黒滝口の谺岩(こだまいわ)、ワタクボの蛙岩(かえるいわ)など実に楽しい名前がある。
今、山中の道型が変わってしまって、これらの巨石に行き会うことが少なくなってしまったのは残念なことである。
大きな木や古い木、また巨大な石には魂があるものと大昔から信じられていた。これらの巨石、巨岩も冠着山と同様、人々に信仰せられ、道の安全を守る神様として、また休み場の目標として親しまれ、今に至るまでその名を伝えている。