冠着橋名付け親の小松康孝さん

冠着橋samuneiru 冠着山・更級の里を眺める場所で私が一番気に入っているのは千曲川にかかる冠着橋。仕事の疲れを癒してくれる。
 更級村が戸倉と五加と合併して戸倉町となって間もなくの昭和三十三年(一九五八)、町が建設したこの橋の名前を一般から公募した。私は締め切りの日に「冠着橋」と書いた紙を持って駆け込んで入選。六月七日に橋の渡り始めがあり、当時の町長、米沢嘉久太さんより橋名の入選に対して賞状・賞金をいただいたのだった。橋名は「嘉久太」が一番多く、「冠着橋」は三名だったそうである。
 昔は更級村と五加村を結ぶ渡船場があり、村人の往来だけでなく、特に五加の人にとっては冠着山から薪を取って運ぶのに利用されたところだった。思えば昭和三十六年、屋代木材に勤務、毎日、自転車通勤、冠着橋を渡り勤めていた。会社の帰りは、橋の上で自転車をとめて、四季に変わる冠着山を眺め古代、官人にうたわれた更級の里を偲びながら家路についたのだった。
 取り付け橋samuneiru当時の橋は五加村側は堤防までつながっておらず、水の流れがない河川敷に板木を敷き並べた取り付け橋でつながっていた。台風で大水になると、いつも流された。道幅が五加村に向ってだんだんと広くなっているのは、災害復旧工事がそのたびに行われたせいである。
 橋脚変遷samuneiru3冠着橋と名付けてから思えば半世紀が過ぎている。戸倉町はさらに上山田町、更埴市と合併し、千曲市となった。更級側のたもとの部分は大型車は通れない一車線、平成十九年度より、国などから予算が毎年おり、全面架け替えが予定されている。国道18号バイパスもやってくる。冠着橋も新しく生まれ変わるのだ。姨捨伝説、月の名に立つ更級の里。市民はもとより、冠着橋を渡り、旅人も訪れるよう望みたいと思います。
 (文・千曲市仙石区の小松康孝さん。さらしなの里友の会だより19号=2008年秋=から、一番上の写真は初代の冠着橋、吊り橋だった)