山頂で御篭、ホタルが乱舞

 文と写真・千曲市羽尾5区の中澤厚さん、さらしなの里友の会だより19号=2008年秋=から

お宮から注連張石samuneiru

 千曲市のシンボル冠着山の頂上(標高一二五二㍍)に大権現様(冠着神社)が建立されており、毎年七月二十八日に冠着神社例大祭が執り行われる。例大祭の前日から翌朝までに行われることが「御篭(おこもり)」です。「御篭」とは、心身を清め祭りの準備を行うことで、大字羽尾の取締役五人が祭日の前日、七月二十七日に行う大切な行事です。

 午後二時、千曲農協更級支所前に集合。空を見上げれば黒い雲が立ち込め雷が鳴り、今にも雨が降りそうな気配に挨拶もそこそこに出発。はじめに坊城平の鳥居の注連縄の張り替え、大急ぎで麻績側の登山道より各人が分担した荷物を背負い山頂へ。雨の来ないうちに作業を終えなければと思うと、気がはやるが荷物は肩にずっしりと重いし、雷はますます近くで鳴るし、心臓も激しく鼓動を打つ。

 いつもなら三十分くらいで登れるはずの道のりがなんと遠く感じたことか。頂上に着くと休む間もなく昨年建て替えた鳥居と注連張石(しめはりいし)に注連縄を張り替える。そのころより雨が降り出す。こうなれば権現様の虫干しはできないので掃除も後回し。お宮の内側に張ってある注連縄を下ろし、外で同じ大きさ形に作り上げるころには、大変な雨が降り出し、皆すでに体は清められた。

注連縄する人たちsamunieru

 出来上がった注連縄をお宮の内に張る。それから権現様の中に入り丁寧にお掃除を済ませ、続いて土間も掃除。五人が眠るため有り合わせの板を置き、その上にゴザを敷き、入り口には風雨と寒さをしのぐためブルーシートを二重に張り終えたころには、午後五時半を過ぎていた。外は雷と大変な風雨で真っ暗。皆がもってきた懐中電灯で明かりを取り、しばらくひと段落。この間一服もせずによく動いたこと、昨年は外でブルーシートを敷き、下界を眺めながらお神酒をいただき心を清めたが、とても外では無理。

 午後八時ごろ、ようやく雨はやみ明るくなったので外に出てみると、なんとなんと無数の蛍が乱舞していた。あたかも姨捨伝説の、そして謡曲姨捨に出て来る「わたしはここに捨てられたのです」と語るがごとく、月の光を浴びて白衣の老女が舞っているような、不思議な雰囲気に包まれたのは私だけだったろうか。そして昼間の激しく荒れた天候がうそのような深閑に包まれ、深い眠りに入りさわやかな例大祭の朝を迎えた。

 この例大祭は安永七年(一七七八)、注連張石が上山田の人たちにより少し離れたところに向きを変えて建て替えられた事件が起き、訴訟を松代藩に起こしたが、羽尾の言い分が通り、元の位置に戻され一件落着した。それ以来訴訟が決まった日を冠着大権現様の祭日と決め今日に至っている。

 当日の朝、武水別神社の宮司様、羽尾の氏子総代の皆様をお迎えし、滞りなく祭事を済ませ下山。郷嶺山に鎮座する里宮の観月殿において直会を行い、無事に終わることができ、一同ほっといたしました。