冠着山地名図、冠着修験の証し

冠着地名図samuneiru

 さらしなルネサンス特別企画「花の吉野・月のさらしな」では、冠着山(かむりきやま、別名・姨捨山)にかつてあった修験道(しゅげんどう)の行場の気配を感じようという登山も行いました。奈良の吉野山で今も続く修験道の実践者である田中利典さんと一緒に登り、その気配を確かに感じることができました。図は、冠着山の直下に位置する長野県千曲市更級(さらしな)地区(旧更級村)に伝わる冠着山に残る地名を書き込んだものです(クリックすると拡大します)。
 たきぎなど日々の煮炊きなどのエネルギーを山に頼っていた時代から続く冠着山財産区のみなさんが代々、受け継いできた地名図です。山頂部の周辺には修験道の香りがする地名がいくつもあります。旧更級村の郷土史家、塚田哲男さん(2007年死去)がお書きになった次の文章も、冠着修験の証しです。(更級地区の住民ボランティア団体「さらしなの里友の会」だより第5号=2001年秋発行=から転載)

 ミニ戸隠山だった冠着山

 中世の冠着山は、修験道の道場として珍重された。この辺りの修験道は、戸隠山をご本尊とするが、冠着山は戸隠山とくらべて里に近く、容易に入山できるので、「ミニ戸隠山」として修行者の集まる所となった。
 山に入ると、修行にまつわる地名が残されている。
 黒滝、不動滝は水ごりの場であって、石の像が安置されている。甲見堂は、坂井村との境にあるが、小御堂とも書かれ、小さなお堂があったとされる。 そこと、冠着峯とのくぼみ、小さな峠を、行者峠という。峯入りという行者の修行の姿を残している地名だ。
 樽の口の泉のそばに九頭竜がある。この神さまは水の神さまで、ご本家は戸隠の九頭竜権現である。そのすぐ下の峠が観音峠。いまは嶺を堀り割って少し平坦になったが、前は仙石から黒滝の上へ出る険しい峠であった。
 坊城平は、その昔、坊(お寺のもと)があった所といわれる。あるいはお城もあったかもしれない。この平の上に、十三仏という所がある。十三仏とは、死語、追善の供養をするときに、回忌ごとに配置された十三人の仏さんのこと。
 この場所は、児抱岩の直下で、この岩の片割れが落下して、林の中に大きな岩があちらこちらにある。これらの岩を十三の仏さんになぞらえて、この名がつけられたものだろう。