さらしなルネサンスの2015年度の特別企画「花の吉野・月のさらしな」が6月27日、開催されました。桜の花で有名な奈良県の吉野山と1000年近く前から並び称されてきた月のさらしなの魅力を掘り下げる企画で。午前の1部と午後の2部の構成で行われました。
1部は、さらしなという地名を世に知らしめた、さらしなの里を代表する山の冠着山(かむりきや、姨捨山)を修験道の観点からとらえ直す登山です。冠着山には「十三仏」という地名など、かつて山岳信仰をもとに修行をしていた人たちが集まる場がありました。それを数年前に地元の有志が復活させました。修験道は「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」という唱え言葉にあるように、山に入って身を清め、自分を再生させていく修行です。吉野山を代表するお寺の金峯山寺の前宗務総長で、現役の修験者の田中利典さんにお越しいただき、約50人の地元の方々と登りました。
かつて修験者の坊があった名残の地名ともされる坊城平から、田中さん随行の修験者のみなさんがほら貝を吹き、登山が始まりました。冠着山での修験は明治の初めまごろまでは続いていたので、約150年ぶりに冠着山にほら貝の音がとどろいたことになります。十三仏で、冠着山頂部に突出している巨岩の児抱岩(ぼこだきいわ)を見上げながら読経しました。浄土岩を経由して児抱岩、さらに児抱岩から、急な岩場をロープを伝いながら冠着山頂に到達しました。
午後の2部は、その登山のことも踏まえながら、田中さんが吉野とさらしなについてお話をしてくださいました。吉野がなぜ桜の名所になったのか。それは「桜の木から神仏の蔵王権現(ざおうごんげん)を彫り出した修験道があったから」。世界遺産への登録も、田中さんがまず手を挙げ、現在も修験道が受け継がれ、実践する人たちが吉野にはいることが評価されたそうです。午前に登った冠着山については「ふもとから見える姿や、岩場、そこから見える景観、たたずまい、まさしく修験の行場だったことがうかがえる」とおっしゃいました。さらしなルネサンスの今後の活動については「この地に神仏を取り戻すことが大事」と助言がありました。それは、冠着山を聖なるものとして見直したり、とらえたりして、さらしなの里のシンボルであることをもっと感じていくことではないかと感じました。
田中さんのご講演の後は、さらしなルネサンスのメンバーとの対談がありました。ルネサンス会長の大谷善邦は、さらしながなぜ古代から都人をはじめ、全国の人のあこがれの場になったのかについて、「さらしなという地名のすがすがしさに一番の理由がある」と話しました。奈良の吉野山とセットで月のさらしなをにセットにした和歌を平安末期から鎌倉時代初めの天皇の側近が詠みこんだのは、さらしなという地名のすがすがしさ、吉野山の桜の花の白さ、そして身を清め、新たな自分にしていく修験道の精神性が背景にあると話しました。
会場の八幡公民館は、さらしなの里のちょうど真ん中あたりにあり、扇のかなめ部分であるとして、今回の特別企画の場に選びました。ホールが満席になる100人をこえる方にお越しいただきました。(写真は中村真仁さん撮影)