長野県千曲市上山田の八坂(やさか)地区に、千年前の平安時代、ケヤキの幹から彫り出された3㍍もの仏様があります。十一面観音菩薩です。智識寺(ちしきじ)というお寺に隣接する、茅ぶきの大御堂(おおみどう)と呼ばれる建物の中に鎮座しています。十一面観音と大御堂はともに国の重要文化財です。十一面観音は毎年4月17日の春祭りで、厨子(ずし)の扉を開けて御開帳されます。小学校の時以来、四十数年ぶりにお参りしました。
四十数年ぶりのお参りのきっかけは、この仏様が冠着山への信仰との関連で造られたことを知ったことです。上山田も旧更級郡。冠着山のふもとの、さらしなの里の仏様としてもう一度見たいと思いました。もう一度とは言っても、小学生のときは先生から十一の観音様がそれぞれ苦しみから救ってくれるというようなことを聞いたのが記憶に残っているだけで、姿形は覚えていませんでした。護持会のお許しをいただき、間近で写真も撮りました。
すごい。見慣れた仏様の姿とは全く違います。素朴だけれど優美な立ち姿。細く長い腕、しなやかな指先。一本の木を彫り抜く一木造りならでは造形かもしれません。大きいので、厨子は板敷を抜いて土間に届いています。足元もきれいです。肝心のお顔は高すぎて、よく見えないので、写真で拡大したものが右上です。年輪がしわにも見え、千年の年月を感じさせます。目の辺りから下りる白い筋は、苦しみに寄り添い一緒に泣いてくれたからでしょうか。頭には、親しみが持てる観音様のお顔がいくつも見えます。
上山田の歴史に詳しい宮原英夫さんによると、この仏様ができたいきさつの記録はないそうですが、もともとはもっと上の冠着山の頂上に近い所にあり、だんだんと下り、戦国時代には現在の所に移りました。隣接する智識寺は、大御堂をお守りするお寺だそうです。上山田では昔から村を挙げて一年間の豊作や商売繁盛、家庭円満を願い、春祭りをここで営んできました。屋台もいっぱい出てそれはにぎやかだったそうです。檀家をたくさん持つお寺ではないので運営が大変ですが、本来、智識とは、仏教の信者が寺や仏像の建立や維持のために金品などを寄進する意味だそうで、護持会によってまさしくそうした形で維持されています。
十一面観音が平安時代に造られたということで面白い話もできました。宮原英夫さんの祖母たけさんは、宮原さんが寝るとき、よく次のような話をしてくれました。智識寺の十一面観音が都でも有名なので、平安時代の歌人でお坊さんの西行も拝みにやってきました。旅の途中、おなかをこわし智識寺近くの萩の茂みの中で腹下しをしたら、はね返りました。はね返りは初めて。それで西行が詠んだ歌が「西行はいくその旅をしたれどもはぎにはねぐそこれぞはつなり」。
大御堂での法要では、前千曲市観光協会長の若林正樹さんが、十一面観音の「観音」という言葉も「観光」という言葉も、ともに民(たみ)が元気な姿を観るという意味があるとお話しされました。なるほど。智識寺の十一面観音は、さらしなの里を見守り、にぎわいと輝きを地域にもたらす仏様です。画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。