NHKのテレビ番組「日曜美術館」(2014年1月放送)のタイトルに、「乳白色」と書かれていたのに興味がわき、見ました。画家の藤田嗣治(ふじた・つぐはる)さん(1886〜1968)を特集する番組で、1920年代初め(日本では大正時代末)、フランスのパリで最も有名な日本人となったその理由を解説していました。藤田さんは女性の肌の白さを独自の手法で描き、一躍パリで評価され、フランスでは今も最も知られている日本の芸術家の一人です。関連の本を読んだり、作品が展示されている日本の美術館を訪ねて見ているうち、藤田さんは日本人が感じてきた白の美しさを海外で勝負する武器として使い、成功したのではないかと思うようになりました。
左の写真は、女性の肌の白さを描いた油絵の代表作の一つです。「藤田嗣治画集・巴里」(林洋子さん監修、小学館)から複写させていただきました。裸の女性(裸婦)を描く作品は、ヨーロッパでも宗教画を中心にたくさんありましたが、このように白く、肌の質感もあるように描いたものはなかったそうです。
当時のパリはまさしく芸術の都。藤田さんは当時、ピカソをはじめ、後に「20世紀の絵画の巨匠」となる多くの画家たちの間に入って、世界に通用する画家になろうという大きな野心を持っていました。パリに渡って独自の絵画芸術を模索する中でいきついたのが、この肌の白さの表現だったのです。
藤田さんは、裸婦の肌の表現に挑んだきっかけについて、短編エッセー「画の離業」(「腕一本・巴里の横顔・藤田嗣治エッセイ集」所収、講談社)の中で、日本の浮世絵だったことを明かし、次のように書いています。
ある日ふと考えた。裸体画は日本に極めて少なく、春信・歌麿などに現わる、僅かな脚部の一部とか膝の辺りの小部分をのぞかせて、飽までも膚の実感を描いているのだという点に思い当り、始めて肌というもっとも美しきマチエールを表現してみんと決意して…(後略)
昔も今も、白く美しい肌は男女を問わず、大きなあこがれです。藤田さんは浮世絵に描かれた日本女性の肌の表現に美しさの実感を覚え、その実感を芸術の都パリで表現するとしたらどうなるかと考え、独自のスタイルをつくりだしたのです。
それだけ力を入れたオリジナルな表現だったからでしょう、藤田さんは、白い肌の描き方については生前、人に明かすことはほとんどなかったそうで、藤田さんが亡くなった後、いたみ始めた作品を美術関係者が近年、修復する過程で科学的に分析し、分かってきました。画布(キャンバス)の上に化粧品やベビーパウダーに使う滑石粉を絵の下地として塗っていたそうです。そしてそこに白い形を浮かび上がらせたのが、日本画で細い輪郭線を描くときに使う面相筆でした。藤田さんは面相筆を手にする油絵の自画像も描いています。自分が日本画の技術を習得していることを自負していた証でもあります。パリで大好評を博した白い肌の裸婦像は、日本の美と技術を一心に注いだ作品であることを示していると言えないでしょうか。
右の写真は、JR東日本の観光宣伝ポスター。昨年9月に新装開館した秋田県立美術館の代表作品として展示されている藤田さんの絵で、秋田のお祭りや風俗が大画面に描かれています。吉永小百合さんが見上げているシーンとともにテレビでよく紹介されていた絵です。 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。