この写真が載る展覧会のチラシを見つけ興味がわきました。神奈川県立歴史博物館が昨年、開催した特別展「白絵(しろえ)―祈りと寿(ことほ)ぎのかたち」です。平安時代、天皇の子が生まれる産所は、着物も周りを囲む屏風も白色で純白空間にしつらえられていたというのです。上の写真も屏風。ただ、平安時代ものではなく江戸時代のものです。白に対する日本人の美意識と、さらしなという地名がブランドになったのには関係があると考えていたので見たいと思いました。残念ながら行けなかったので、展覧会の図録を送ってもらいました。
解説も刺激的でした。内容を自分なりにまとめると、生まれて来る子どもの命を祝い、その命のかけがえのなさを確認する色として「白」が象徴的に使われてきたということです。江戸時代まで身分の高い人たちの間の習俗になっていました。さきがけは、平安時代に栄華を極めた貴族、藤原道長の、天皇に嫁いだ娘が子どもを産んだときの〝純白産所〟の記録だそうです。そのようすは藤原道長に仕え、源氏物語を書いた紫式部の日記にも「それは美しい」と記されているそうです。右の絵はその時のようすを江戸時代に絵師が描いた屏風の一部で、産所でお産を終えた女性たちが休んでいる場面です。女性たちはみんな白い着物姿で、白い屏風が立ち、純白空間が際立っています。
これらのことが分かって頭に浮かんだのは、白のイメージが強いさらしなと産屋の白の関係です。天皇の跡継ぎの候補が白一色で誕生する世界に触れると、そう言えば月も白色、その美しい月がさらに美しく見えるのはさらしなと聞いている…さらしなへのあこがれが都で強まっても不思議ではないのではないでしょうか。「更級日記」の作者も、紫式部が体験したような、天皇の子どものお産の場に同席できる貴族でした。さらしなへのあこがれはこうした出産の習俗からも強くなって行った可能性があると思いました。
上の写真は、京都府立総合資料館所蔵の江戸時代に描かれた白絵屏風。おめでたい象徴の鶴と松・竹、亀が白い紙の上に描かれています。時間がたって紙が薄茶色になっていますが、描かれたときはもっと白かったそうです。図録は描かれた当時のようすについて「紙と顔料の白のわずかな差や、その上に加えられた雲母の光彩表現、紙地からわずかに盛り上がる絵の具の層の質感など、微妙な色調差や光の反射の中に文様を見いだすような表現であったことがうかがえる」と解説しています。右上の写真は、犬筥(いぬばこ)と台座。出産のお守りとして産所に一緒に置かれたもので、台座は白木に白の絵の具で松や鶴が描かれています。その下は子どもが健康に成長することを願って作られたお守りの人形、天児(あまがつ)。これも白色です。シリーズ235で日本画家の平山郁夫さんが白を命の原点とみていたことを紹介しましたが、平安時代に始まった白絵も同じだと思いました。掲載した写真はすべて図録から複写させていただきました。
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