旧更級郡を中心に冠着山のふもとに広がる全域を「さらしなの里」と呼ぼうという「さらしなプロジェクト」。昨年11月に行ったキックオフ集会で基調講演をしていただいたのが東京大学名誉教授(倫理学)の竹内整一先生です。さらしなの里にまつわる歴史文化と景観が世界レベルであることをお話しくださいました。多くの人が長く生きられるようになった日本、そのことによって生まれた苦しみ…そんな時代を生きていくヒントがさらしなの里にあることも感じました。
竹内先生のご厚意で、講演の全内容をアップしました。左の画像をクリックすると、印刷できます。ご講演を文字に起こしたのはさらしなルネサンス発起人の一人で長谷寺住職の岡澤慶澄さん。以下は文字おこし作業後に岡澤さんがお書きになった文章です。
信州長谷観音は、さらしなという土地にありますが、このことは、とても大切なことだと思います。日本の文学史や精神史において、「さらしな・おばすて」を場として醸成されてきた文学性、精神性、あるいは宗教性、美意識というのは、非常に重要なものであると思うからです。
日本の古典文学の中心の柱となるのは和歌だと思いますが、この和歌の世界において、多くの歌人たちが究極の歌として尊重し、重視するのが、「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」という読み人知らずの名歌です。この歌は、またより多くの歌を生み、謡曲や俳句へと大きな影響を与えてやみません。多くの歌人、俳人、文化人、芸能者たちが、この歌に心惹かれて更級・姨捨の地に憧れ、訪ねてきました。
そこで、人々は、わがかなしみをしのび、慰めんと月を見るのです。その月に照らされて、いよいよ深まるかなしみにしずんでゆくのです。人々は、この「さらしな」で人間の「かなしみ」という感情について探玄したのでしょう。このかなしみの聖地で、ひとはわが悲しみを歌い、わが嘆きを舞ってきたのです。
長谷観音の開基伝説「しらすけ物語」も、その冒頭は「信濃の国更級郡、姨捨山のほとりに…」とはじまりますが、これは有名な姨捨伝説を伝える「大和物語」の始まりとよく似ていて、おそらく、信濃の国更級郡姨捨山の、というある種の枕詞によって、昔の人の中に、悲しみを中心とするある種のイメージや感情が立ち上がったのだと思います。「しらすけ物語」の主人公もまた、かなしみを抱える貧窮孤独の孤児でした。
長谷観音信仰は、長谷信仰、再生信仰をその基調とするものと考えられますが、その信仰の背景として、さらしなという土地の持つ特別な意味性があり、またさらしなという土地に寄せる、古代からの日本人の強いイメージがあるのだと思います。
竹内先生は、やまと言葉が今に伝える日本人の精神性や宗教性をさかのぼり探求される方です。更級で歌われた言葉を深く追いながら、更級の魅力の秘密に迫る素晴らしい講演です。
ぜひお読みください。 (長谷寺・岡澤慶澄)
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