ノーベル文学賞を受賞した川端康成さん(1899~1972)がスウェーデンのストックホルムでの授賞式の講演で、白には最も多くの色が含まれていると言ったことをシリーズ3号で書きました。「美しい日本の私」というタイトルのこの講演は、日本人の伝統的な美意識を世界に表明したもので、佐良志奈神社の社標和歌「月のみか露霜しぐれ雪までにさらしさらせるさらしなの里」の美意識とつながっているので紹介しました。
「色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています」というのが川端さんの言葉ですが、この言葉は花瓶に挿した一輪の花の美しさを説明する文章の中にあるもので、その花として選ばれたのは白ツバキです。水をふくんだ白ツバキの花弁の美しさも強調しています。「美しい日本の私」は自然の美しさをうたう和歌を中心に紹介しており、白色のことについて全面的に語っているわけではありません。しかし、月を詠んだ和歌を複数取り上げており、結果的に白のイメージを濃く感じます。
なぜ、川端さんはこの講演で白色が最多色であることを指摘する一文を入れたのか気になっていて、代表作の「雪国」にヒントがないかと思い、読み、関連の資料を調べました。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」いうあの有名な書き出しに白のイメージを強く感じたからです。読んでみて驚きました。白が作るイメージの中でも、特に「清浄」「浄化」のイメージを効果的に使っているのです。
「雪国」は妻子ある東京のインテリの男と豪雪地帯である新潟県の温泉街の若い芸者との愛と情念が描かれています。現代風にいえば、男の浮気、不倫、都会の男にほれた田舎の女の純愛と憎悪、男女のかけひきもあります。しかし、髄所に雪の白色でそれらを浄化する表現が登場するのです。例えば男が自分が惚れられていると気分をよくしながらも、芸者が奏でる三味線の音を聴きながら自分を冷めた目で見る場面の川端さんの描写です。
「こんな日は音がちがう」と、雪の晴天を見上げて、駒子(注・芸者の名前)が言っただけのことはあった。空気がちがうのである。劇場の壁もなければ、聴衆もなければ、都会の塵埃もなければ、音はただ純粋な冬の朝の澄み通って、遠くの雪の山々まで真直ぐに響いて行った。
また男と芸者の関係が、一つの言葉でだいなしになろうとした場面の後に続く川端さんの次の描写です。
紅葉の錆色が日ごとに暗くなっていった遠い山は、初雪であざやかに生きかえった。薄く雪をつけた杉林は、その杉の一つ一つがくっきりと目立って、鋭く天を指しながら地の雪に立った。
惚れ合った男と女の間では、愛憎、嫉妬などさまざまな感情が行き交います。川端さんはそんなたくさんの色模様を包み込めるのが白だと思っていたのではないでしょうか。「雪国」はノーベル賞事務局でも川端さんの代表作とされていました。川端さんはそれを知っていたからこそ、白が日本人の美意識であることを講演で伝えようとしたのではないでしょうか。
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