「さらしな」というスーパーブランド地名を活用した地域づくりです!
Q 「さらしな」といえば千曲市にはすでに更級地区がありますよね。
A はい。明治時代の町村合併でできた「更級村」のあった地域です。更級村という村名は、姨捨山の別名がある冠着山のふもとに広がる地域であることからつけられました。「さらしなプロジェクト」の大きな狙いの一つは、更級地区に限らず、「さらしな」を拡大して、千曲川の西側全域の呼び名にするということです。
Q どうして川西全域が「さらしな」になるのですか。
A かつて更級郡だったからです。
Q どうしてなくなったのですか。
A 更級郡を構成していた町や村が周辺のおおきな市や町と合併していったからです。最後にのこった大岡村が長野市に2005年に吸収合併され、地図にのる行政区画名としての更級はなくなってしまいました。著名な歴史家は「歴史的事件」という表現をつかって残念がりました。
Q なぜ歴史的事件なのですか。
A スーパーブランド地名だったからです。
Q スーパーブランド地名って何?
A ブランドはその名を聞いただけで、歴史文化の厚みを感じさせるもの。企業や商品によく使われますが、地名にもブランドがあります。たとえば、近くでは小布施や安曇野。ちょっと遠くでは青山(東京)。それぞれの地名の後に産物の名前をつけただけで、何かいいものという期待感をいだかせませんか。スーパーブランドとはブランドの中でもさらに一級、超一級という意味。「さらしな」は千年以上前から平安時代の京都の貴族をはじめ、全国の人が特別のあこがれをもつ地名だったのでスーパーブランド地名なのです。
Q 「さらしなへのあこがれ」ってどれくらいだったの?
A 平安時代には、天皇家につかえていた女性が「更級日記」という日記を書きました。日記のなかに、年老いた自分のすがたをよんだ歌があります。重要なのは、「さらしな」の文字も、さらしなの里のことも何も書かれていないのに、タイトルに「更級」とついていることです。更級と聞けば、それは信濃の国の更級郡、そこの姨捨山と連想できるほど都では有名でした。
Qこのチラシの反対側には「月の都」と書いてあるけど?
A さらしなは月が美しい「月の都」としても有名でした。月の光をダイナミックに反射させる千曲川の流れ、月の出を情緒豊かに演出する鏡台山など、月を美しく見せる舞台装置がそろっていたのです。月の名所はたくさんありますが、「月の都」を名乗る場所はめったになく、江戸時代には俳人の松尾芭蕉がさらしなの月をみるためだけに当地にやってきて「更科紀行」という紀行文をのこしています。
Q まだあるの?
A スーパーブランドを裏づける証拠はまだまだあるのですが、江戸時代まで天皇の住まいだった京都御所のなかに「さらしなの里」を描いたふすま絵があります。天皇のプライべートな部屋の内側に描かれており、さらしなの里が天皇にとっても大きなあこがれの地だったことの証拠といえます。このほか京都発祥の高級和菓子「虎屋」でも江戸時代から「更科」という名前の羊羹(写真)がつくられてきたのもスーパーブランド地名のあかしです。
Q さらしなプロジェクトってひと言でいうと何ですか?
A スーパーブランド地名「さらしな」を活用した地域づくりです。
Q 具体的に何をするの?
A すでに川西地域で盛んな活動や特産物の名前に「さらしな」という地名を上手に入れて、特に地域外の人により魅力的にみえるようにしてはどうかと提案したいと思います。さらしなにはその言葉の響きを裏切らないすがすがしさと躍動感の景観があります。千年以上に及ぶ「さらしな」にまつわる文化を現代的にとらえ直し、地域の人も訪れる人も元気になるようにしたいと思います。さらしなルネサンスの役割はさらしなの里という大きな舞台をつくり、そこで活動する人たちと舞台を魅力的にすることです。
画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。この内容はさらしなPJキックオフ集会の案内チラシの裏面にも掲載してあります。