月面に愛する人の姿が

山の峯や稜線から上がる月に格別な趣(おもむき)を感じます。だんだんと姿をあらわすダイナミックさ、大きさです。日本は山国なので、そうした感性は古代からあったようです。月の都・さらしなの里が「恋の里」を名乗っていいことも分かり、恋の歌がたくさんある万葉集で、月をモチーフにした恋歌(こいうた)を探しました。ありました。

山のはにさし出づる月のはつはつに妹(いも)をぞ見つる恋しきまでに(2461)

山の端(は)から姿をあらわした月面に、男性が自分の恋人や妻(妹)の姿を見てつくった歌です。「はつはつ」という言葉に姿をあらわしたばかりの月に感動している作者の気持がうかがえます。千曲市の温泉街、戸倉上山田温泉沿いの千曲川河川敷でちょうど正面の山の峯から上がる十六夜(いざよい)の月を眺めたことがあります。山並みがそびえたつ位置関係です。夕方、ほとんど闇になり、一か所だけほんのりと赤らんできました。稜線に立っている樹木の輪郭が、背後からオレンジ色の月光を浴び、くっきりと見えます。やがて月は全身をあらわしました。その大きさとあでやかさ。

もう一つ、万葉集からです。

望の日に出でにし月の高々に君を坐(いま)せて何をか思はむ(3005)

「望(もち)の日」は満月の日の意味。何らかの事情で会えなくなった恋人や愛する人の姿を、満月の中に映し、しのんでいる歌です。「高々(たかだか)に」とありますが、「出(い)でにし」とあるので、上空の高い位置の月ではなく、山から上がったばかりの初々(ういうい)しい大きな月の情景を前にして作ったのだと思います。

山から姿をあらわす月を楽しむ遊びは、現代ではうすれてしまっています。夜空に姿を出しつくすまでの時間は短いので、その瞬間を狙わないとなかなか見ることができません。でも、戸倉上山田温泉の河川敷でお月見をしてからは、忘れられない景色になりました。幸いにして、千曲市では千曲川東側(旧埴科郡)に、ほぼ同じ高さの山並みが長く続いています。月が上がる位置は毎日変わりますが、必ずこの山並みのどこからか上がります。

観月のおすすめ場所は、千曲川の下流に向かって西側の堤防道路、さらしなビューラインです。車の進入が禁止された歩行者と自転車の専用道です。月が上がってきたらそこに座りこんでも大丈夫です。千曲川の水の流れに月の光も映り、その美しさは格別だと思います。夏ならば月の光が水面を焦がしたように見え、とても情熱的です。

最後に、さらしなの里の現代の住人、更級人(さらんど)がつくった歌です。

あわられた月の面(おもて)に見ているのあなたの姿恋するわたし