164号・なぜ今、「月の都」なのか?

 質問 「さらしなの里は月の都」と言っても、今は昔のように月を楽しむ文化が衰退していると思います。なぜ衰退したのでしょうか。それにもかからわず「月の都」と力を入れるのはなぜですか。

 平安時代の都人は月が出てから明け方、沈むまで月を眺めていました。ネオン街など夜の明かりの中を楽しむ現代人と似ているところがあります。電気が発明されて夜になっても月以外に光を発するものが増え、また家の中にはテレビが置かれ、闇の中で過ごす時間がほとんどなくなったのです。特にテレビは月の文化を決定的に衰退させました。
 月は「心の鏡」とも言われるように自分を映し出す天体でした。月を見ながら自分の内面や、恋人ら自分の愛する人などの思いをはせる対象でもありました。テレビのドラマを見ながら、自分の生い立ちや家族、知人のことに思いをはせることがあるのと同じです。対象が月からテレビに変わったわけです。ただ、動きが激しいスポーツや言葉の多い娯楽番組が増え、自分を映し出したり、自分の内面を見出す余地が生まれにくくなりました。月は肉眼ではほとんど静止しています。絵画や掛け軸と同じように動かないからこそ、想像力が働きます。闇夜が当たり前だった時代は、だから、俳句や和歌の格好の題材になりました。大変貴重で有り難い天体でした。
 都人たちはそうした月が特に美しい地として「さらしなの里」をイメージしていたのですが、千年もたった現代はライフスタイルが違うのだから、「月の都」と言ったって…。その通りです。しかし、月が楽しめる心豊かなゆったりとしたライフスタイルを志向する人たちが増えているのは事実です。
 古いものを古いままもう一度復活させようとしても、定着も長続きもしません。古い物を引っ張り出すことで成功している地域に共通した特徴は、古いけれど新しいと思わせる仕掛けや取り組みが不断なく続いていることだと思います。「楽しさと感動」です。古いものに触れることが楽しくて感動するとなることが重要です。
 新しい時代は、例えば戦後は、東京都知事の石原慎太郎さんが書いた芥川賞受賞小説「太陽の季節」が大ヒットしたように、いつも太陽が前面に出て始まります。しかし、一つの時代の終りには月が代わって登場します。それは次の太陽の時代を迎える準備期間でもあります(シリーズ61、62、63など参照)。
 さらしなの里が次の太陽の時代を迎えるときに重要なのは、経済活動だと思います。さらしなにまつわる情報を交換し、現在の世代だけでなく子や孫の世代まで、さらしなの里で生計を営めるようにすることです。こうした目的を共有できる人たちが集まる「さらしな会議」がこのほど結成されました。事務局はさらしな堂です。
 さらしなの里には千曲川の堤防から見た冠着山を中心にしたすばらしい景観があります(上の写真)。心豊かに生きる人たちが暮らし、仕事をする場所がすべて見渡せます。さらしなの里の文化・伝統を世に伝えたいと思います。日本、世界の人々の豊かな暮らしの実現にも貢献できると思います。
 アンズなどの産物をはじめ住民の仕事ぶりや暮らしぶりを、地名には世界文化遺産級の価値がある「さらしなの里」の中で位置付け直し、魅力をさらに高めたいと思います。「月の都・さらしな」の「楽しさと感動」は、そうした文化・経済活動によって生まれるのではないかと思います。

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