質問 「さらしな」という地名はどのようにしてできたのですか。また、さらしなの漢字はどれが正しいのですか。
答え 「さらしな」という地名は「さら」と「しな」の二つの言葉からできています。まず、下の「しな」という言葉からです。「しな」は、「日本語源大辞典」(小学館)によると、平安時代に編まれた日本最古の漢和辞典「新撰字鏡」で「陛」「層」などの階段を意味する漢字に「シナ」の読みがな振られていることから、「階段状の比較的なだらかな坂」の意味と考えられます。
では「さら」は何か? 日本語大辞典によると、新しさを意味する「あら(新)」に接頭語の「さ」がついた言葉だということです。「あら」は、「あらためる」「あらたに」などの言葉にあるように、新鮮さや清澄さをイメージさせます。接頭語の「さ」は、「さ迷う」「小百合」にあるように、「迷う」「百合」を強調する役割を持つそうです。
以上「さら」と「しな」の二つの言葉を合わせると、「澄んだ感じのするなだらかな坂」という意味になります。
少し話を広げます。「○○しな」と呼ばれる所は長野県にはいくつもあります。さらしなの里(旧更級村)の東隣には「はにしな(埴科)」、西側には「のぶしな(信級、級更級郡、現信級地区)、少し遠くには「たてしな(立科)」「あかしな(明科)」…。信濃(しなの)の「しな」もやはり、「さらしな」の「しな」と同じ意味です。坂の多い地域の意味で「しな」の「の(野)」となった可能性があります。
ここで重要なのは「しな」は急峻な坂ではなく階段状の比較的なだらかな坂を意味していた可能性があることです。上の写真をご覧ください。千曲市仙石(旧更級村)の西沢保雄さんが五里ケ峯頂上から冠着山(左のとがった山)など旧更級郡方面を撮影したものです。これを見ると、千曲川の両岸に広がる盆地で、姨捨棚田に代表されるように階段状の比較的ゆるやかな山と斜面の集まりである感じがします。千曲川は光を大きく反射させるので、山の多い信濃の中でも明るく澄んで広々とした地であると受け止められていた可能性があります。つまり、「さらしな」は言葉の意味と音の響きの通り、澄んだ清澄な場所だったわけです。
次に、「さらしな」にあてられる漢字についてです。「更科」「更級」「佐良志奈」だけでなく、「更信」という漢字があてられたこともあります。江戸時代には「佐良志南」という句集も作られました。明治時代までは、言葉一つ一つの音に、自由に漢字をあてててよかったからです。
江戸時代までの文書が読みにくいのは漢字が読みがなとしても使われていたせいもあります。ですから、どの漢字も正しく、どれを使ってもいいのです。松尾芭蕉の紀行文は「更科」ですが、さらしなの里の小学校は「更級」の漢字を使っています。これは平安時代の日記文学「更級日記」を踏まえています。「級」を「しな」と読める人は現代では少なくなっていますが、この「級」も2級、1級などと使われるようにだんだんと登っていく坂のイメージがあると思います。
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