上の写真は、千曲市小船山地区から見た冬の冠着山(別名・姨捨山)です。さらしなの里歴史資料館元学芸員で現在は千曲市文化財係の翠川泰弘さんが2008年2月4日に撮影したものです。小船山地区は更級地区(旧更級村)とは千曲川を挟んだ対岸の位置にあります。更級地区に住んでいると、冠着山は見上げる格好になるので、こうした冠着を中心にした里の全景を見ることは、あまりありません。翠川さんからメールで「冠着に神が降臨した」という添え書きとともに、この写真がその日に届きました。その気持ちよく分かります。写真のファイルを開いたとき「すげえ」と、声を上げたのを覚えています。
神々しさ
写真に残っているデーターから撮影は、朝の7時3分。小船山地区にお住まいの翠川さんは朝起きて外に出ると、この光景が面前にあるのに驚き、すぐにカメラを取りに家に戻りました。このカットを撮った後は車で冠着橋や千曲川堤防沿いを走り、何枚か写真に収めたそうです。
この写真のすごいところは、まず、冠着の頂上部の光景です。上ったばかりの朝日が東斜面に当たり、雪がかぶった児抱岩を輝かせています。気流が頂上部にぶつかり、雲が発生し、澄んだ青空にたなびいています。黄金色の光を放っているように見え、「神々しい」という表現がぴったりです。さらに、冠着山の尾根筋に延びて広がる山々の肌の黒色とパウダーのような粉雪が、墨絵のような異次元の雰囲気を醸し出しています。すがすがしさ、清れつさを感じます。「さらしな」という言葉の響きにもぴったりです。翠川さんは「気温の急激な低下が一因だと思いますが、このような光景はめったに現れず、何年かに一度ぐらいではないか」とおっしゃっています。
別の世界が
冠着山の頂上部は付近の山地の中でも特徴的な姿を呈しています。以前、善光寺(長野市)の上方、往生地地区に住んだことがあるのですが、善光寺平の南、冠着山の峰が、そこだけぽつんと飛び出ていている様子を初めて見たとき、「あれはなんだ」という関心が湧きました。冠着山の手前には一重山(千曲市屋代区)の尾根があるため、この一重山の向こう側が「さらしな・姨捨」の月の都の世界だと想像を膨らませやすいとも感じました。
室町時代中期の天台宗の学僧・歌人だった尭恵が残した紀行文「北国紀行」に、「よしさらば見ずとも遠く澄む月をおもかげにせむ姨捨の山」という和歌があります。尭恵は善光寺平を旅したとき、さらしな・姨捨の月を見ることはできなかったようです。善光寺平を離れるときに、往生地地区で私が見たのと同じ冠着山の姿を眺め、実際には出ていませんが、月がかかった冠着山の姿を思い浮かべ、歌を詠んだのではないかと思います。
長野冬季オリンピックの記念アリーナ「エムウェーブ」(長野市北長池)に初めて行き、車を降りて振り返ったとき、冠着山の姿が目に飛びこんだときの感動も忘れられません。善光寺に旅をした人はこの光景を必ず見ていたはす。あそこには別の世界がある…。特別な山になっても不思議ではないと確信しました。
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