現代人に急増している心の病「うつ」には、観月の文化の衰退もかなり影響しているのではないかと思うようになりました。
救いのないあきらめ
きっかけは精神科医で作詞家の北山修さんの論考です。北山さんは1970年前後、「あの素晴らしい愛をもう一度」「戦争を知らない子どもたち」など今では音楽の教科書にも載る数々のフォークソングを送り出した「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーで、グループを解散後は精神科医として活躍してきました。
北山さんの研究の特徴は日本人の心と文化の関係を考察してきたことです。北山さんは著書「幻滅論」(みすず書房)の中で、日本人の心の特徴として「はかなさ」「あきらめ」を挙げています。これは古代、平安の時代から日本人を特徴づける心性です。中学や高校の古典の授業で習った「もののあはれ」という言葉にくくられる感情でもあります(もののあはれについてはシリーズ72でも触れています)。
あきらめ、はなかさという言葉だけだを聞くと、後ろ向きな感じがしますが、実はそれが他人との関係を営んでいく上での日本人の言動を支配する感情です。しかし、現代人にとっては、それぞれが「救いのないはかなさ」「救いのないあきらめ」になり、もっと言えば絶望を感じている人が多くなっているような気がします。それがうつという心の病いにつながっているような気がしてなりません。
テレビのように毎晩
なぜ、そうなってしまったのかを考えるに当たって、北山さんの指摘で触発されたのは、日本人は同じ方向を眺めてきた民族であるという趣旨のことでした。北山さんは江戸時代の浮世絵に描かれる母と子どもの目線が交わらず、同じ方向を見る構図になっているものが大半であることを発見しました。
そのことなどから、日本人の対人関係の特徴は、対面ではなく横並びに位置しながら関係を結ぶことであると考察。「私たちは(中略)桜を愛で、蛍を追いかけて、月を楽しみ、生け花、雪見、花火と浮かんで消える対象を皆と眺めながら、日本文化の本質である『もののあはれ』を知り…」と本の中で書いています。
この中の「月見」が日本人の心を形作る大きな役割を担った気がします。日本人は平安時代から特にお月見が好きになりました。電気の灯りなどない時代、夜が訪れれば明るいのは月だけです。現代人がテレビを毎晩見るように、平安時代の人は月を眺めました。毎晩見ていたわけですから、月との関係は桜や生け花、花火とは比べものにならないくらい深くなります。
平安人が現代人と違うのは、そこに人生、自己を重ねたことです。月は己の鏡という考え方もそこから生まれて来ました。月の詩人とも言われる俳人の松尾芭蕉は紀行文「笈の小文」の中で、「月を見てものを考える人間が真の人間である」という趣旨のことを言っています。
一つの天体に向かってですから、それは同じ方向を見つめざるをえません。そのとき、それぞれが自分の思いを歌にしたり、考えを述べ合ったり、あるいはお互いにだまったままでいたり…。
太陽は見つめらせませんので、横並びにはなりません。突出した者を嫌う横並び文化は、こうした観月の文化が育んだものともいえますが、一方で観月の文化は、同じ方向を向いて何か一つの問題を解決していく日本ならではの議論のスタイルも作ったと思います。海外からは「合意形成が比較的容易な国民」と評される日本人の特徴は、月を横並びで見る同胞の存在も関係している気がします。
芭蕉も「もののあはれ」
もののあはれは平安時代だけの文化ではありません。源氏と平氏の戦いを描いた中世の平家物語も、もののあわれを基調とした文学です。一の谷合戦で知られる須磨の浦(神戸市須磨区)の部分では、ずばり「ものの哀れ」という文句が登場します。
近世・江戸時代の俳諧という文学も本質的にはもののあはれだと思います。「古池やかわず飛び込む水の音」など芭蕉の代表句は枯れた感じ、軽みを感じさせますが、それは新たな芸術世界を目指したからそういう句が生まれたのであって、本質的には芭蕉はもののあわれの後継者だと思います。
当地に旅をして詠んだ「俤や姨ひとりなく月の友」は明らかに古今和歌集収載の「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」を踏まえたものです。一緒に平氏討滅に狼煙を上げながらも、後に鎌倉幕府を開く源頼朝に邪魔者としてやられてしまった木曾義仲を敬愛し、自分の墓は義仲寺(滋賀県大津市)につくれという遺言を残した芭蕉の生き様にも。もののあはれの表出を感じます。
平家物語といえば、弾き語りをする琵琶法師を連想しますが、その琵琶には月をデザイン化したものをよく見かけます。琵琶の音色にもののあはれを感じませんか。敗者好きな日本人の心性や「滅びの美学」という言葉も、もののあはれがベースにあります。
感情共有できる安心感
さて、なぜ、うつという心の病が現代人に広がっているのかという問題です。もののあわれを共有できる同胞の存在が希薄になったせいも大きいのではないでしょうか。月見の風習がすたれたのも大きな要因だと思います。同じ方向を一緒に見る人がいなくなったのです。同じ方向を隣の人が見ているのは安心感を得ます。顔は見えないけれど、一緒に何かを感じているという関係はかけがえのないものです。完全に一致はしないけど、なんとなく同じ感情や考えを共有できているという感覚は心を安定させます。
お月見の盛んな時代、中秋の名月のときには全国の日本人が同じ方向を見上げていたと想像してみてください。空から見下ろせばそれは月の光を受けて逆に大きな光になっていたかもしれません。お月見には飲食も伴いますので同胞的な心情は強まったでしょう。お寺や神社によく掲げられている俳額や俳句の同人誌では、句が横並びしているのも象徴的です。
「哀切」とか「生きる哀しみ」という言葉がありますが、これはもののあわれの現代版です。赤提灯のような飲み屋も同胞の存在を確認する場でした。しかし、正社員と同じかそれ以上のレベルの仕事をしながらも「派遣」という不安定な立場で働かざるを得ない人の増加など、格差が固定化する社会になり、同胞がいなくなって、「もののあはれ」は「救いのないはかなさ」「救いのないあきらめ」に劣化してしまったのです。
月の文化を復興しようと始まった更級人「風月の会」は時宜を得たものです。会合後の懇親会で毎回、音楽と話芸を披露してくださるグループが、北山修さんの音楽に大きな影響を受けた世代であるということも意味ある偶然です。
更級人「風月会」や月の文化についてはシリーズ61、62、63をお読みください。左の写真は、江戸時代に出版された「善光寺道名所図絵」の中にある更級でのお月見の光景を描いた版画です。右の写真は琵琶奏者、上原まりさんの著書の表紙です。月がデザインされた琵琶に、もののあはれと月の文化の密接な関係を感じます。画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。