和歌に俳句になぜ昔の日本人がそんなに月にあこがれたのでしょうか。人類誕生の生い立ちと関係があるように思います。 月ができた経緯については、テレビ放送されたNHKスペシャル「地球大進化」が参考になりました。有力な説として広く認められるようになったのが、「ジャイアントインパクト説」。46億年前、地球に火星サイズの隕石が衝突し、その際に飛び散った破片が固まって月になったんだそうです。
相次ぐ試練
地球上の生命はこの数億年後にできた海の中で、バクテリアのような単細胞生物として誕生しました。しかし、試練が相次ぎます。四十億年前には、また直系400キロもの巨大な隕石がぶつかり、水は地上からすべて蒸発し、地球は長高熱に包まれます。
それならば生命も死滅し、したがって人類が生まれる余地などまったくなかったはすですが、生命は生き延びました。海の底から地下に進出していた生物がいたんだそうです。肉眼では見えない微生物だからこそ、それもできたのでしょう。そこでは栄養もエネルギーも補給しなくていいよう休眠して、生命を維持した可能性があるそうです。
海へ再進出
地上はやがて少しずつ冷え、雨が降り注ぎます。2億年後には再び地上に海ができ、この微生物は休眠から目覚めて海へと上って再進出していったということです。この中に人類の祖先がいたことになります。
しかし、またまた試練です。その後30億年近く地球は凍ったり溶けたりの気候大変動を繰り返し、この中で多細胞生物も生まれ、やがて陸に上がる生物も出現します。その延長で大繁栄したのが恐竜で、人類の祖先はその当時、かよわいネズミのような生物だったということです。
夜空を眺めた
地上に森林ができ、果実ももたらす木が増え始めると、いよいよ人類へのチャンスが生まれました。サルの専門家である京都大学名誉教授の河合雅雄さんは「森林がサルを生んだ」という本をお書きになっています。つまり、ネズミが木の上に上ったからサルという種になったのです。
そしてそのサルを人類へと飛躍させたのが月だと私は思います。サルは木の上に登って、夜空に輝く月を眺めたのです。これはほかの生物にはできないことでした。夜は眠るもの、起きていたとしても木々が空を覆っていて眺めることはできなかったでしょう。
正確にはサル以前から月への関心が生まれていたと思います「夜になると、明るいあの星はなんだ」というようなものです。月を眺めるには木の上が一番いい環境です。木に登ってサルは夜を自分のものにしたとも言えます。
女性は月の申し子?
話題はやや飛躍します。なぜ月の満ち欠けと女性の月経が同じ周期なのでしょうか。私はこれも月を眺めていたからではないかと思っています。
月と同じリズムでメスが生理、つまり排卵をする生物は人類だけだそうです。同じリズムの動物は人類以外にはいないことから、これをもって月と女性の生理は無関係と指摘する科学者もいますが、それは違うと思います。逆なのではないでしょうか。ほかの動物にはいないというのは、人類が月と密接な関係があることの証拠なのです。月のリズムと同じになることによって人類となったと考える方が妥当だと思います。女性は月の申し子と言っていいのではないでしょうか。「月の魔力」(東京書籍)は満月のときには人間の出産の確立が高いなど月と生理の因果的な現象をいくつも紹介しています。
更級の女性たちはどんなお産をしていのでしょうか。観月の里でしたから、女性もよく月を眺めていたでしょう。ほかの地域よりも月の影響をうけ、満月のときにはたくさん子どもを産んでいたかもしれません。そんな統計があればいいのですが。昔の産婆さんに聞けば分かるかもしれません。
ただ、人類を産み落とし続けてきた女性は、現代、月のリズムと離れた生活を送っているようです。ストレスも加わって現代の女性は月経痛に悩まされているそうです。私は男なので実際の痛みはよく分からないのですが、一度妊娠すると、約一年間は生理がないことになるので、たくさんの子どもを生んだ昔は、今ほど月経痛という苦しみを味わう女性はいなかったのではないかということです。
多彩な呼び名
さて、世界には月を忌み嫌う文化もあるのに日本人の月への関心が世界的にも強いのはなぜなのか。四季がある風土が関係しているように思います。春の「おぼろ月」から冬の「寒月」まで四季折々の多彩な呼び名があるのは、季節によって月がいろいろな表情を示すからで、それは月が日本人にとって身近な星であったことの証拠です。
俳人は月を秋の季語にしましたので、俳句では秋にしか「月」を詠めなくなりましたが、月の表現としては中秋の名月前夜の「待宵」、後の夜の「十六夜」、また欠けていく月の呼び名として「立待月」「居待月」「寝待月」、さらに真っ黒になる「宵闇」と多彩な呼び名をつけて月を楽しんできました。秋にしか月をモチーフになかなかできないというは制約ですが、こうした季語による制約が俳句を文学にしたと言えます。
再び出番
先に紹介しました「月の魔力」はまた、月の存在を太陽と対比させてその意味を考察しています。明るく快活な太陽に対して、闇を照らす泰然自若の月。それは対になって人類の精神活動に影響を与えてきたということです。この指摘を読んでいて思い出したのは、先の戦争後、今の東京都知事である作家の石原新太郎さんが発表し大きな話題となった「太陽の季節」です。
この小説は、戦前まで主流だった月の文化への異議申し立てでもあったわけです。古来続いた月へのあこがれを否定することによって、日本は高度経済成長へと進む精神的な裏付けを手に入れたとも言えます。「太陽の季節なんだから、もう我々の出番はない」と多くの老人が口を閉ざしたでしょう。
しかし、21世紀。もう一度月を眺めるライフスタイルを復活させようという取り組みが各地で生まれています。歌詠みのモチーフとして月を一番に位置づけてきた日本人は、人類誕生のDNAを濃厚に持っているのではないでしょうか。(左の写真は、明治か大正時代の絵葉書。鏡台山から上ってきた月を千曲川の河原から撮影したものと思われます)
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