126号・「姨捨駅スイッチバックの恋」のその後

 このシリーズを読んでくださった方々からいただく感想が最も多い話題の一つが、「恋を成就させたスイッチバック」(24号)です。主人公は国鉄時代の姨捨駅を利用していた男子高校生。汽車の中で見染めた女子高校生になかなか声を掛けられないでいたのですが、卒業を前に汽車がスイッチバックのためいったん止まり、方向を変えて駅に向かい始めたその瞬間、告白の勇気を得たという実話です。以下はその後の反響などです。
 今も走り続ける「いい話」
 左の写真をご覧ください。全国にホテルを展開するリッチモンドホテルが発行する情報誌「リッチウォーカー」26号(2010年2月発行)に載った「スイッチバックの恋」の話です。昨年、同誌を制作している日本情報通信東北(宮城県仙台市)の編集部の女性から「『恋を成就させたスイッチバック』の内容を転載していいでしょうか」という連絡がありました。更級小学校のホームページに掲載してもらっているこのシリーズを見つけて読んだとのことでした。
 「心の中で今も走り続ける『駅にまつわるいい話』」というコンセプトで、各地のリッチモンドホテル近辺の駅を舞台に語り継がれる、その駅ならではのエピソードを見開き2ページにわたって紹介する特集です。
 「スイッチバックの恋」のほかに、「愛の国から幸福へ」というフレーズで以前、話題を呼んだ北海道帯広市の「愛国駅」「幸福駅」(いずれも廃線で現在は記念館などに)や、皇太子妃、雅子さんの旧姓である「小和田」の名のつく小和田駅(静岡県浜松市天竜区水窪町)が神式の十二単衣結婚式を執り行ったことなどを紹介しています。
 「スイッチバックの恋」のエピソードは見開きのトップ、一番目を引くスペースに取り上げられています。当時者の高校生たちはスイッチバックが取り持つ縁でめでたく結ばれ、現在は還暦を過ぎ、お孫さんに恵まれており、今も幸せに暮らしているというところが、単なる昔話ではなく、「今も走り続けるいい話」にぴったりだと思いました。ご夫妻は千曲市羽尾五区(旧更級村)にお住まいです。
 観光フレーズにも
 松尾芭蕉の「更科紀行」を漫画化した「まんが松尾芭蕉の更科紀行」著者であるすずき大和先生がお作りになった、千曲市の観光キャッチフレーズとロゴマークにも実はこのエピソードが反映しています。芭蕉を中心に随行者2人が月の中にいる絵の回りを囲んでいる言葉「芭蕉も恋する月の都」が千曲市の観光キャッチフレーズです。私も制作に関わったのですが、「芭蕉も恋する月の都」の「恋する」という言葉を裏付けるエピソードの一つと考えました。
 芭蕉が当地で月見をしたのは姨捨駅のすぐ下の長楽寺付近とされています。つまり、芭蕉も現在の姨捨駅一帯で見る当地の中秋の名月恋焦がれて美濃(岐阜県)から急き切ってやってきました。それだけではありません。長楽寺境内の巨岩である姨岩に登って、亡き母親に恋焦がれた可能性もあります。
 繰り返しになりますが、「スイッチバックの恋」の当事者の高校生たちがその後、めでたく結婚して子孫を繁栄させていることを考えると、姨捨駅は「ここに来て利用すれば恋が成就する駅」ということになると言っていいのではないでしょうか。
 既に高速道路の姨捨サービスエリアが今年4月、夜景がすばらしいのでプロポーズしたりデートしたりするのにふさわしい場所だとして「恋人たちの聖地」(静岡市のNPO法人地域活性化支援センター認定)になっていますが、このサービスエリアのすぐ下にある姨捨駅には、恋が成就するという歴史的な裏付けがあるのです。
 「恋」と「姨捨」という言葉の響きはミスマッチな感じがします。しかし、「年老いた心を捨てに来た場所が姨捨」と指摘し、姨捨は実は「若返りの里」であるとおっしゃっていたすずき大和先生のお考え(詳しくはシリーズ102参照)を踏まえると、この二つの言葉は決して相反するものではありません。若者と一緒になって「姨捨」を楽しめるのではないでしょうか。
 そんなことに気づいてから「スイッチバックの恋」という詞を作りました(右に掲載)。旧更級村域住民を中心とする文化団体「更級人『風月の会」から生まれた音楽演奏グループの棚田バンドのみなさんにお渡したところ、高松義久さんがギターで曲をつけてくださいました。まだ詞も曲も完成とは言えませんが、コードも添えました。いずれ棚田バンドのCDを作るという計画が進んでいますので、そこでは完成版を載せたいと思います(棚田バンドについてはシリーズ61、75、104、118を参照) 。
 右の写真は姨捨駅の待合室で撮った写真です。ホーム駅の出口の上方、時計の下にすずき大和先生がお造りなったロゴマークが掲げられています。

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