「月の都」としての当地を訪れる人たちに買ってもらえるおみやげが、もっとあるといいなと思っていました。特に口に入るものは情報の塊りです。見て、触って、嗅いで、舌で味わって…と五感を総動員させるので、当地にまつわる記憶を濃く残してもらえるのではないかと思います。これから世に出る「さらしな・姨捨」ならではの産物を二つ紹介します。
▽雲の懸かる月
まずお菓子です。千曲市上徳間にある和菓子店「青柳」の会長で菓子職人の大久保寛さん(右下の写真)に、月にまつわるお菓子を作ってもらえないかと頼んでいました。このたび、「月の都」という名前の和菓子を考案していただきました。
一つは三日月をイメージしたもので、小麦の甘い丸型の焼き生地を二つ折りにし、白い雲をあしらっています。月に雲が淡く懸かる情景は古代からの伝統的な月の美の姿で、砂糖を煮詰め「すり蜜」と呼ばれる状態にした砂糖を刷毛で塗りました。もう一つは満月をイメージした形のものです。
いずれも中身はアンズと白いんげんのあんこ。満月はらくがんで化粧してあり、アンズの切り身も入っていました。アンズの風味とあんこの甘さがバランス良く練り込まれている感じです。アンズは更級地区で栽培されたものです。「更級のお菓子なので地元産の材料を使いたい」と大久保さん。は言います。
大久保さんが青柳を創業したのは昭和四十三年(一九六八)。昭和二十五年に菓子修業のため上京したのですが、最初の六年間、修業した店(現在の東京都世田谷区下北沢)の名前をのれん分けしてもらいました。住み込みで入った当時はまだ空襲の焼け野原の感じが残っていました。親方は厳しいけれどいい人だったそうです。最初は給料は出ませんでしたが、風呂銭や月に一度の映画代がもらえました。当初は洗いものばかりでしたが、ある程度菓子作りもできるようになると面白くなり、親方の技を身につけようと頑張りました。その後、秋田県や長野市の菓子店も含め二十件近くで働きました。「職人は同じ店に長くおらず、腕を磨くものだった」と大久保さんはおっしゃいます。
和菓子のデザインは呉服屋や襖絵などの日本の伝統的な意匠を見て勉強したそうです。「菓子作りは自分の浮かんだイメージを形にできる。夢がある。考えるほどいろんなものができる」と大久保さん。今後、包装紙や色などを工夫・改良しお客さんに喜ばれるものを作っていきたいと言います。「さらしなの月」や「芭蕉」という商品名のお菓子を作ることにも意欲をお持ちです。
▽ 「月の井」を越える?
次はお酒です。姨捨山の異名を持つ冠着山の麓、千曲市羽尾地区(旧更級郡更級村)の有志のみなさんが初夏、酒造好適米の美山錦を田んぼに植えました。収穫した米は「オバステ正宗」などの銘柄で知られる長野名醸(千曲市八幡)で醸造してもらいます。同銘醸も旧更級郡を代表する酒蔵です。
企画したのは上水清さんです。上水さんはシリーズ61で紹介した「更級人『風月の会』」の事務局長で月の文化の発信に熱心な方で、「棚田文化研究所」も主宰しています。お仲間は国の重要文化的景観に指定された当地の棚田を訪れる人たちのガイドをしているのですが、来訪者に買って帰ってもらうおみやげがあまりないのを残念に思っていました。
長野銘醸も当地の棚田で栽培した酒米で「棚田」という銘柄の酒を新たに作り、地域起こしに関心をお持ちでいらしたので、上水さんは格好のパートナーだと考えて持ちかけたところ、社長の和田直道さんも賛同してくださいました。
最上部の写真は、今回地酒造りに取り組む羽尾地区有志の中の、上水清さんと奥様の英子さん、さらに更級人「風月の会」会員で音楽演奏グループ「棚田バンド」メンバーでもある森政教さんです。背景は酒米を植えた通称「吉野地区」の棚田です。その奥、千曲川の向こう側に見える山が鏡台山です。
英子さんが手にしている酒徳利は、造り酒屋でもあった更級村初代村長の塚田小右衛門さんのお宅で作っていた銘柄「月の井」です。現在は廃業していますが、名酒と言われたこの酒に勝るとも劣らない日本酒を作ることを目指しています。早ければ来年二月には飲めます。出来上がった酒の名前やラベルのデザインはこれから決めますが、更級地区の歴史・伝統をよりよく知ってもらえるものにしたいと上水さんたちはおっしゃっています。おみやげとして持ち帰りやすいよう五合瓶サイズもたくさん作る予定です。
上の写真は、酒米を植えてある田んぼの一つで、代掻きをしているところです。右上に冠着山(姨捨山)。森政教さんが撮影したものをお借りしました。
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