113号・月の音色「古賀メロディー」

  「昭和歌謡」を代表する作曲家、古賀政男さん(故人)の作った曲の数々を総称して「古賀メロディー」と呼びます。「古賀メロディー」は月の音色、月のメロディーと言っていいと思います。明治維新後の「太陽の季節」で傷ついた日本人の心とからだを癒すメロディーとして大衆に受け入れられていったのではないかと思います。
 将来への絶望
 美空ひばりさんが歌った「柔」「悲しい酒」をはじめ、古賀さんが作ったたくさんある曲の先駆けが「影を慕いて」という題名の歌であることが象徴的です。「まぼろしの/影を慕いて/雨に日に…」で知られる歌です。詞はさらに「月にやるせぬわが想い」と続き、この曲のタイトルにある「影」は明らかに、月の光でできる影をイメージしたものです。
 古賀さんは明治37年(1904)生まれ。この曲を作ったのが昭和3年(1928)で、明治大学の学生のときでした。古賀さんの自伝「歌はわが友わが心」の中で、この歌ができたいきさつについて記しています。
 それによると、昭和の初めは、政府の不適切な金融政策で不況になって失業者があふれ、中国では日本の関東軍による張作霖爆殺事件が起き戦争、動乱への気配が濃く、暗い世相が日本に蔓延していました。弦楽器が好きだった古賀さんは明治大学に入ると、マンドリン倶楽部を創設し音楽を楽しんでいたのですが、卒業を間近に控えた昭和3年の夏、音楽では食べていくことも恋も成就できない時代だと将来に絶望し、宮城県川崎町の青根温泉で自殺を図りました。
 石原さんと同年齢で
 のどにカミソリの刃を当てました。しかし、死にきれず、そのときの思いをすべて注ぎ込んで作った詞が「影を慕いて」。当時住んでいた下宿で雨がしとしとふる夜、たばこの煙管を修理清掃する「ラオ屋」と呼ばれた小さなリヤカーが「ピュー」と笛を鳴らしながら通っていくのがやるせなく聞こえ、それをギターの音に変えたところ、メロディーができたそうです。
 翌年の昭和4年、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会でギター合奏曲として発表しました。演奏会にゲストで出演していた当時の人気歌手、佐藤千夜子さんがレコードにすることを古賀さんに勧めました。佐藤さんが歌ったレコードはあまり売れなかったのですが、後に国民的流行歌手となる藤山一郎さんが歌うと大ヒットしました。藤山さんの声によって、古賀さんのギター歌曲の魅力が世に広まったわけです。
 古賀メロディーには「丘を越えて」「東京ラプソディ」など快活な歌もありますが、基本は哀歌だと思います。そしてその哀歌を代表する「影を慕いて」を20代前半の若者が作ったことが時代の空気や精神を象徴しています。石原慎太郎さんが「太陽の季節」を発表したのも23歳で大学生でした。
 「夜明け前」と同時期
 「影を慕いて」が大流行したのは、古賀さんが自ら命を断とうとするまでに追い詰められた、暗い世相が背景にあるのは間違いありませんが、暗い世相は明治維新後、欧米列強諸国に追いつけて追い越せと日本が文化、軍事面ともに「太陽の季節」で突っ走ってきた結果の、社会現象でもあったのではないかと思います。
 シリーズ111で取り上げた島崎藤村が「夜明け前」の連載を雑誌で始めたのも昭和4年です。藤村のこの大作と古賀さんの「影を慕いて」が同時期に世の中に送り出されたのには、同じ時代背景があると思います。古賀さんの「影を慕いて」は、太陽の強い日差しの中で傷ついた日本人のからだと心を月の光で癒そうとした気がします。
 各地の墓地で日露戦争(1904〜05)に出征し戦死した兵士たちの慰霊碑をよく目にするのですが、日本は明治維新後、植民地化を免れるためにたくさんの身内や友人を犠牲にし、心とからだを傷つけた人たちがたくさんいたのだと思います。「嘆き」好きの日本人(シリーズ78参照)には、哀しみに満ちたメロディーがギターの音色でさらに哀調を帯び、余計、心ひかれたのではないでしょうか。
 古賀さんの作った曲のタイトルにも月がたくさんあります。「月の浜辺」「月夜椿」「月夜の恋」「「ギター月夜」「見ないで頂戴お月様」…。
 風月会のさらしな棚田バンド
 古賀メロディーに関心を持ったのは、千曲市羽尾地区(旧更級村)在住のギター製作者、上水清さんとのおつきあいからです。上水さんは2005年の全国アマチュアギター製作コンテストで優勝し、現在はプロとして製作を続けています。上水さんは1945年生まれで、青年期を古賀メロディーとともに過ごしました。作るギターの多くはクラシックギターです。いわゆるフォークギターの音色とは違い、古賀メロディーを奏でるのに向いているそうです。
 上水さんは旧更級村地区の住民グループ「更級人『風月の会』」の結成に当たった発起人の一人で、コンサートや講演会など会の催しの企画・事務局を担っています(シリーズ61参照)。古賀メロディーを本格的に取り上げるコンサートはまだやっていません。いずれやってもらいたいと思います。
 右の写真は、更級人「風月の会」のメンバーで結成した音楽仲間「さらしな棚田バンド」の演奏風景。中央でハーモニカを吹いているのが上水さんです。

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