112号・「月の季節」の作家、南木佳士さん

  これまでのシリーズで「『太陽の季節』の作家」ということを書いたところ、それでは「『月の季節』の作家」とは何か、またそれは誰かと問われることがありました。小説や文学に詳しくはないのですが、長野県佐久市在住の作家で内科医の南木佳士さんが「『月の季節』の作家」を代表する一人だと思います。「心とからだの傷を癒し、再生していく物語」が、月の季節を象徴するテーマだと思います。
 傷つきながら
 「心とからだの傷を癒し、再生していく」というこのテーマは、石原慎太郎さんの「太陽の季節」を踏まえて思いつきました。戦後の神奈川県逗子(湘南地区)の海辺を舞台に、世間からは不道徳と見られる破天荒な若者たちの生態を描いたのがこの小説ですが、映画化されたこの作品をDVDで見直したところ、映画公開を前にした予告編も収録されており、そこには「大人たちは無軌道と言うだろうが、傷だらけになりながら何が本当のものかをつかもうとしているのだ」というナレーションがありました。
 さらに、原作者の石原さんのコメントとして「これが果たして大人の言うように抵抗であり反抗であろうか」というメッセージが続いていました。
 激しいなあと率直に感じました。そして思ったのが「傷だらけになりながら何か本当のものを…」というのが「太陽の季節」のテーマであるのなら、太陽と補完関係にある「月の季節」は、「そうした傷だらけになった心とからだを癒し、再生していく季節」ではないかということでした(太陽と月の補完関係についてはシリーズ61、62、63で書いています)。
 当時の若者たちがまだ「拳闘」と呼んでいたボクシングを彼らのあり余るエネルギーの注入先に設定したこと、そのボクシングは戦争で負けた相手の米国のスポーツであるというのも、「太陽の季節」のテーマ性を強調する仕掛けになっています。
 昭和天皇逝去の前年
 南木佳士さんも石原さんと同じく純文学の新しい書き手を表彰する芥川賞を受賞しています。受賞作は「ダイヤモンドダスト」です。
 主人公は病院の男性看護師。米国の鉱山用トロッコを改良したスピードの遅い電車の運転士だった父との関係を軸にした物語で、高度経済成長期を経た後の地方を舞台にしています。ある日、病院にベトナム戦争で戦闘機に乗っていた米国の中年宣教師が肺がんの末期で入院するのですが、主人公の父も脳梗塞で倒れ同じ部屋に入ります。国は違いますが、時代に置いてけぼりにされた二人の心の交流が感動的に描かれています。
 この作品は高度経済成長がもたらした日本の暮らしぶりの劣化を見つめ、その過程で傷ついた日本人の心とからだと、そこから再生しようとする姿を描いていると思いました。
 この作品で南木さんが芥川賞を受賞したのが1988年(昭和63)。石原さんの受賞から33年後です。この年は昭和天皇が逝去する前の年でもあります。つまり昭和という時代が終わるときだったわけで、戦後の「太陽の季節」を過ごしてきた日本が、「心とからだの傷を癒し、再生していく『月の季節』」に転換したことを象徴する受賞であったと言えます。
 その後、平成時代の初期、日本の企業経営者が世界のトップクラスの資産家になるというようなバブル経済になりましたが、文字通りそれはあぶく(バブル)であったため破裂したときの傷は深く、大きな後遺症を残しました。樋口加南子さんと寺尾聰さんを主人公に映画化もされた南木さんの「阿弥陀堂だより」が発表されたのが、バブル経済崩壊後の1995年だったというのも象徴的です。
 南木さんは、人の最期を看取る医業とそうした人間の死を自分の中で消化しようとする文筆業の二足のわらじを履いていたわけですが、芥川賞の受賞を機にそのバランスを崩します。パニック障害とうつ病を患い、生きていくこと自体が困難な時期が続き、病状の回復期にこの作品を書きました。パニック障害を病んだ女性医師が夫の田舎に移り住み、そこで出会った阿弥陀堂の堂守の老女らとの交流を通して再生していく物語です。
 飼い猫との触れ合いを通して癒され再生していく医師の姿を描いた近作「トラや」も感動的です。
 回復期には浄土が
 「月」を作品のタイトルに盛り込んだ小説はたくさんありますが、南木さんの作品にはありません。しかし、作品の中では「月」と「夕日」が癒しと再生をもたらす重要な装置になっています。
 「ダイヤモンドダスト」では朝一番の電車で浅間山の峯に消えていく月を見るのが好きだった父。「トラや」では、精神を病んだときは首を吊ろうと思うほどにその引力にひかれた山際の夕日に、回復期には浄土を見つけ、生きる力をもらっています。夕日は月ではありませんが、シリーズ109で書きましたように、二つの星はお互いに見つめ合う関係にあり、心の傷を癒す光を放つという意味で月に近しい役割を持っています。月と相性の良い仏教を、日本人の伝統的な信仰の場であった阿弥陀堂を舞台に扱ったのが「阿弥陀堂だより」です。
 戦後、「太陽の季節」が始まってから50年余り。映画の主人公だった南田洋子さんが認知症になり、同じく主人公だった夫の長門裕之さんの看病を経て亡くなった姿をテレビなどを通じて見せつけられました。二人の間にはいろいろな問題があったようですが、その傷は癒されたでしょうか。右の写真は映画「阿弥陀堂だより」のDVDジャケットです。

 画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。