110号・みんなで見るから感動一層

  千曲市の観光キャッチフレーズが「芭蕉も恋する月の都」と言っても、日々、月を気にしたり見たりするのは難しいことです。夜はテレビ、繁華街のネオン、車のライト、さらにインターネットのパソコン、携帯電話の画面…月以外にも灯りを放つものにあふれる現代です。「月の都」を楽しんだ明治時代までのように電気がまだなかった時代ではもうありません。「月で飯が食えるか」と思う人もいるかもしれません。
 そんな中で「月の都」としての当地の底力を確認したのは、やはり昨年の中秋(10月3日)、JR姨捨駅でのトークショー観月の体験でした。鏡台山から昇る月を古来、和歌や俳句を好む人たちが愛でてきたということは文献では知っていましたが、実際に見ると、感激はひとしおでした。
 往時の観月体験
 雨天の予報が数日前には晴れに変わり、地元のみなさんが続々現れました。さらにJR長野支社が長野駅から走らせた観月列車の乗客を迎えました。鏡台山の北峯と南峯の間のくぼみに顔を出した丸い月に全員で歓声を上げ、闇の深まりや点景のように現れる雲が演出する月の風情を一緒に味わいました。
 加えて「棚田バンド」の音楽演奏、地元の食べ物…。文献でしか知らなかった往時の「月の都」の月見体験の真髄に触れられたような気がしました。
 あの観月の後、多くの方から感動したという声をもらいました。人によって感想が少しずつ違うことに興味がわきました。それぞれの方の感性、生い立ちなどが反映しているように思いました。
 そして、しばらくして思いました。人に感激を語らざるを得なくさせたのは、みんなであの月をみたということがベースにあるのではないでしょうか。感激は人と共有することで度合いが増します(このことについてはシリーズ74でも触れています)。
 浄土の安ど感
 もうひとつ、あの月を見て感じたことがあります。シリーズ106で書きましたように、当地での中秋の名月を見ることが極楽浄土体験でもあった可能性があることに思いが至ってからは、生きること死ぬことに少し安心感が生まれました。
 浄土がイメージできることは生きることにつながると思います。昔、「なんまんだぶ」と念仏を繰り返す老人がたくさんいましたが、彼ら彼女らもそう唱えることによって、鏡台山の月の観月体験と近いような安ど感を得ていたのではないかと思いました。
 全国各地に「阿弥陀堂」と親しみを込めて呼ばれるお堂がたくさんあります。西方の極楽浄土にいる阿弥陀如来の仏像を安置しているので、お堂の中は小さな浄土空間でもあります。当地にも阿弥陀堂はいくつもありますが、さらに「月の都」という大きな、浄土空間が毎年、姿を現してきたわけです。
 「月の名所」は全国にあまたあるものの、「月の都」と名乗る地域はそんなに聞きません。名所はスポット、点の感じですが、都は空間、立体的で、人々も暮らしている感じがします。北の長野市、善光寺方面からみますと、一重山の向こう、冠着山(姨捨山)との間に何らかの別の世界があることを感じさせます。東の坂城町方面から見ますと、戸倉上山田温泉が広がる八王子山の尾根筋の向こうに別の空間があることを感じさせます。千曲市域は月を美しく見せる小宇宙のようなロケーションにあります。
 本物を子どもに
 年に一度、それも中秋、雨がよくふる時期なので、名月が拝めたときの有り難さは格別です。今年の中秋は9月22日ですが、その前後に、さらしな・姨捨の月の魅力を姨捨駅で話してくださった「まん松尾芭蕉の更科紀行」の著者、すずき大和さんに、子どもたち向けの漫画のワークショップをお願いすることにしています。論より証拠。とにかく本物を子どもたちに味わってもらいたいと思います。中秋の月も見てもらえればと思っています。
 中央の写真は、姨捨駅のホームでトークショー観月においでになった方々が鏡台山の月を眺めているところです。棚田バンドの森政教さんが撮影したものをお借りしました。上の写真は、千曲市芝原地区(旧更級村)の阿弥陀堂に安置された阿弥陀如来像です。春と秋の彼岸の中日には堂内で、お釈迦さまが入滅するときの様子を描いた涅槃図(写真の中の阿弥陀如来像の向こう側)と、亡くなった人間の裁きをする十王の掛け軸が披露されます。(2010年3月8日記)

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