心がけ53 作文という慰め、道しるべ

 人生を長く生きるときの寂しさと悲しさは、老いて死ぬことです。どうすればこの寂しさと悲しさを慰めることができるか。「(その感情を)表現して、それを受け止めてくれる人がいること」という東京大学名誉教授(倫理学)の竹内整一先生の指摘にヒントがあると思っています。
信頼できる人、自分のことを気にかけてくれる人がいれば、寂しさや悲しみを語ることができるでしょう。聞いてもらうことで、すっきりすることがあります。語る相手のいない場合や、もっと深く届けたい場合があります。そのときには、書くといった表現が向いています。
わたしの生家の正面にそびえる山(冠着山)が「姨捨山」の異名を持つ理由を深掘りしていったところ、生地のさらしなの里が「老いて死ぬこと」の寂しさや悲しさを表現する最適地として千年以上前に選ばれ、世阿弥や松尾芭蕉ら多くのアーティストが作品を残してきたことが分かりました。そのことが分かったのは、「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」という和歌が古今和歌集に載っていたからです。作者はだれか分からないのですが、歌に詠み、そしてそれを書き留めたということが決定的に重要でした。
寂しさや悲しさの表現は歌である必要はありません。自分の寂しさや悲しさが伝えたい相手に届くような作文であれば、自分が慰められるだけでなく、後に続く人たちが人生を生きる道しるべになることがあるかもしれません。
竹内整一先生による「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」の読み解きを、次のページにアップしています。http://www.sarashinado.com/2015/02/04/takeuchi-kickoff/