長野県千曲市を中心に冠着山のふもとに広がる全域を「さらしなの里」と呼び、地域を元気にしていこうという「さらしなプロジェクト(PJ)」。そのキックオフ集会が2014年11月8日、開かれました。そのときに東京大学名誉教授(倫理学)の竹内整一先生に基調講演をお願いしました。演題は「さらしな姨捨の月が誘うもの―『わが心慰めかねつ…』の和歌で読みとく」。当地の可能性に多様な角度から光を当てる内容で、さらしなPJの活動のまさに基調となりました。竹内先生のご厚意で全内容をさらしな堂のホームページにアップしました。いつでも立ち戻ることができる、さらしなPJの原点です。
講演のメーンテーマは、当地を今から約1100年前に全国区にした古今和歌集の一首「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山に照る月をみて」。この和歌には日本人の伝統的な精神性を理解する言葉の要素がつまっており、そのために大和物語や多くの歌人の和歌の創作につながったことを指摘しています。その中で竹内先生が掘り下げたのが、なぜ「慰めかねつ」なのかということでした。美しい月を見れば心は慰められるような気がしますが、この和歌をはじめ日本の文芸には、それでも慰められないと表現するものが多いそうです。それはなぜなのか。先生は謡曲の「姨捨」の内容を紹介してお話しくださいました。自分なりに要約すると、「慰められないからこそ慰められる」という逆説的な精神性が根底にあるからではないかと思いました。この考え方は和歌を作るように、慰められない気持ちをほかに人に知ってもらうための表現をすることで成り立つので、普通の人にはなかなかたどりつけない境地ですが、老いて死んでいくときに大変、大事な考え方だと思います。木下恵介監督の映画「楢山節考」にも同じ精神性を感じます。
これに関連した先生のお話を下に抜粋しました。全文はダウンロードできますので、実際に読んでいただくこととして、ここで確認しておきたいのは、この和歌をつくり出したのは、さらしなの景観があったからこそだという竹内先生のご指摘です。先生とご一緒しているときには質問が思い浮かばなかったのですが、文字になったものを読み、さらしなの里の景観のどの要素が「慰めかねつ」という言葉を生み出したのか。自分なりの考えでは、千曲川の流れが千曲市八幡(旧更級郡八幡村)付近で大きく東に湾曲している景観かもしれないということです。真っ直ぐ流れているのとは違ってなにか複雑なえもいわれぬ気持ちを起こさせます。この湾曲は当地を通過していた東山道の峠越え(詳しくはシリーズ33、34、160)で必ず目に入ったはずです。美しい里、月の景色、その美しさをもっと深く表現するにはどうしたらいいか、そのときに「慰めかねつ」の言葉がぴったりだったのでは…本当のところは分かりません。
上の写真はその湾曲を冠着山の頂上から7月、雨上がりの夕刻に撮ったもの。頂上は謡曲「姨捨」の舞台の情景とぴったりで、希少種のヒメボタルもいます。謡曲「姨捨」についてシリーズ103を、ヒメボタルについては97、202、232をご覧ください。
(ご講演の一部を抜粋、全文はさらしな堂のホームページに掲載))
「慰め」続ける以外に「慰め」られない
「姨捨」というのは、特殊な時代の特殊な風習ではありません。それはいわば、いついかなる時代においても、「老いて、死ぬ」という自体がもっているさびしさであり、それはついに解消しえない「慰めかねつ」の思いの表現だろうと思います。豪華な特別ホームに入れられようが、粗末な施設に入れられようが、あるいは最後まで家族と一緒に暮らしていようが、「老いて、死ぬ」最後のところは一人であり、すべての人がいわゆる「姨捨」という事態を迎えるという言い方もできるということです。
繰り返しておけば、それをどこまでも慰められない、本人にも慰めきれないことでして、でもそのことをそのこととして受け止め、そしてなおかつ「それでよい」、「それでこの宇宙におさめ取られていくのだ」ということを思いながら、しかし我々としては、慰めるというのは結局「慰められない」ということを繰り返し思い続けながら、なお、そうし続けていく以外にないことだということです。これは大事なことだと思います。慰め続ける以外に慰めることはできない、ということでして、簡単に慰め得た、と思うのは、それは、――これは辞書の「慰む」という語義にも載せられているのですが――相手を「慰みもの」にしている、あるいは「弄んでいる」ということになってしまうということです。
姨捨山の景観について
今日申し上げてきたようなことは、「なぜか懐かしい。心の原風景に出会う」というコピーの千曲市のポスターにあるような、心の原風景に近いようなことですが、そういう事柄が、あるいは感じ方、考え方が、更級・姨捨の地において「月を見る」ということにおいて可能になっているということです。この姨捨の地の光景なり風景なりは、それ抜きには語れないわけでして、先ほどの謡曲の中にあった「嶺平らかにして万里の空も隔てなく」云々というような、あるいは、この世が浄土さながらの様子であるというのは、この地のあり方を語っているわけです。姨捨山をはじめとする山の形とか、千曲川とか、棚田なども含めてこの山並み、川の流れが一望できる「場」であるという、この景観のあり方が決定的に重要なのでして、そういう「場」があるがゆえに、今まで申し上げ来ているような考え方や感じ方が語られ続け、息づいて来たのだと思います。
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