京都の「新更科」という地名についてこれまでシリーズ49号などで現在の東山区月見町一帯の呼び名だったと紹介してきましたが、ここに全体像を紹介できるようになりました。大きなきっかけは、老舗和菓子「虎屋」研究主幹の今村規子さんに教えていただいた平凡社の「日本地名体系」の記述です(虎屋では「新更科」という季節限定のようかんもあります。180号もご覧ください)。
「月見町」の項によると、新更科の呼び名は江戸時代半ば、都の東に連なる東山から上る月が、東山のさらに向こうの「信州更科」の美しい月(名月)の景色を思い起こさせることから生まれました。当時は樹木が茂り、月が照る夜はたくさんの人が集まったのですが、だんだんと人家が並び江戸末期には呼び名が使われなくなったということです。
この5月に現地を訪ね、関連の写真を撮りました。「地図と写真からみえる! 京の都」(西東社)という本にイメージがしやすい地図が載っていたので、関連部分を複写(上が北、右が東)させてもらいました。赤丸の部分が新更科です。右手の東山から上る月を楽しむ場が新更科だったことがよくわかります。周辺には祇園祭の八坂神社、豊臣秀吉の妻創建の高台寺、懸崖造りの清水寺など東山連山でも特に由緒がある寺社がある所で、そうした寺社の存在も月見スポットになった大きな理由だと思います。(京都の東山については、シリーズ183、185、187、188、190の各号もご覧ください)
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