現在につながる日本人の伝統的な暮らしの原点と言われる縄文時代。当時の人たちが月をどんなふうに眺めていたのか、気になっていました。そんな中で縄文人と月の関係について考察した「月からの使者」という面白い論文に出会いました。縄文人は月を、人間の命を宿すものとして信仰の対象にし、その月と人間をつなぐのがガマガエルだと考えていたというのです。当地にもある縄文時代の遺跡とできるだけ関連づけてみたいと思います。
蝦夷はガマガエル?
この論文を書いたのは富山県の考古学研究家、沖津実さん。長野県富士見町の縄文遺跡展示施設「井戸尻考古館」に事務局がある山麓考古同好会発行の論文集18号(1995年発行)に載っていました。沖津さんの論考の一番の特徴は「遮光器土偶はガマガエルがモデル」という指摘です。
遮光器土偶とは、土偶の頭部の目にあたる部分が、シベリアやアラスカのエスキモーと呼ばれる人たちが雪の強い反射光をさえぎるために着用する「遮光器」の形に似ていることから名付けられました。主に東日本から出土し、縄文時代晩期のものが多いそうです。姿の特徴は頭の部分に加え、大きなお尻、乳、太ももなど女性をかたどっていることです。胴の部分には文様が施され、朱などで着色された跡があるものが多いということです。
完全な状態で発見されることはあまりなく、足や腕など体の一部が欠けていたり、切断された状態で見つかることが多いそうです。多産や豊穣を祈願するための儀式で土偶の体の一部を切断したのではと考えられています。
とてもユニークな姿なので、宇宙人の姿を模したものであるという説まであるのですが、沖津実さんは遮光器土偶がたくさん見つかる東北地方の古代の呼び名である「蝦夷」の「蝦」という漢字の意味が、ガマガエルであることに思い至り、あるとき、土偶の姿がガマガエルに見えたのだそうです。それをきっかけに実際にガマガエルを捕まえてきて調べました。
黄金色のおなか
さて、ではガマガエルと月がどのように結び付くのでしょうか。ガマガエルの卵から孵化したオタマジャクシがカエルに姿を変えるまで沖津さんは観察を続けました。その過程で、オタマジャクシのおなかの部分に、月のような丸い文様が見えるのに気付きました。
上に掲げた手書きの図が、沖津さんが観察したオタマジャクシのおなかの部分の変遷です。右から10日目、19日目、22日目。渦巻き文から始まって丸くなり、さらにそこに黒の斑点のようなものが現れたそうです。
添えた写真は、長野県下で初めて国の重要文化的景観に指定された姨捨地区の棚田で見つけたオタマジャクシのおなかです。棚田の景観の維持管理に一役買うため一角を借りて米作をするオーナーの一人に私もなっているのですが、右端は田植えから一週間後の6月5日、撮影しました。カエルの種類はよく分からないのですが、びっくりしたのは泥水からすくい上げてひっくり返したら、渦巻き文があったことです。さらに驚いたのは、文様が黄色で、光を浴びると黄金色に輝いています。
このオタマジャクシを持ち帰ればよかったのですが、しくじりました。1週間後また行ったときにつかまえたオタマジャクシのおなかがその左の写真です。渦が巻いている様子が薄れ、全体が黄色の丸になっており、沖津さんが記録した19日目の腹部に似ていています。1週間、間を空けて捕ったオタマジャクシが同じ種類なのかどうか分からないのですが、いずれにせよカエルのおなかに月のような文様があったのは発見でした。
沖津さんは「観察にたけた縄文人なので、ガマカエルの腹に月が宿っていると考えたにちがいない」と考察しています。オタマジャクシのおなかに月の子が宿り、やがて人間の体に入って人間の新しい命になると考えたのではというのです。沖津さんは、月の満ち欠けの周期と人間の女性の生理の周期が重なることも「月と人間をつなぐガマガエル」という信仰につながった理由ではないかと考えています。遮光器土偶は縄文時代を代表する土偶の造形なので、それもあながち間違いではない、かなり説得力があると感じました。
芸術的な文様
こうした沖津さんの考察を踏まえて「さらしなの里歴史資料館」(千曲市羽尾、旧更級村)に展示されている当地の縄文遺跡を見直しました。当地でも遮光器土偶の肩の部分の破片が見つかっています。右上の写真をご覧ください。上の遮光器土偶は復元したものです。棚田でつかまえたガマガエルの頭の部分の写真を、この復元土偶の胴体に載せてみたのが右端の写真です。土偶の衣装は、当地で毎年秋開催の縄文まつりで着用する縄文服に似ています。
中央の土器の写真は、当地の主要縄文遺跡である円光房遺跡(旧更級村)から出土した土器で、この文様はカエルのおなかの渦巻き文によく似ています。両腕を広げた人間をイメージさせるアート作品とも言えるものですが、モデルになったのはオタマジャクシの渦巻き文ではないかとも思いました。
沖津さんの論文の存在を知ったのは、俳人、宮坂静生さんの本「季語の誕生」(岩波新書)でした。季語を縄文時代の人々の感性からもう一度とらえ直そうという意欲的な内容で、読み終え、月を和歌の主要題材にした日本人の感性は縄文時代にさかのぼるのではないかと感じました。
本当に縄文人は月を信仰していたのか、その信仰の大本にはガマガエルが関係していたのか、確実なことはまだ分かりません。ただ、当地の縄文人が今の暦でいう中秋のときは、鏡台山からのぼる月を眺めていたのはまちがいありません。画像をクリックすると、PDFが現れ、印刷できます。